林真理子さんの原作「西郷どん!」に、京都市長になったばかりの西郷菊次郎を囲んで、舞妓たちが「手鞠唄」を歌う場面があります。
一掛け二掛け三掛けて 四掛けて五掛けて橋の上
橋の欄干に手をかけて はるか彼方を 眺めれば
十七八の姉さんが 花と線香手に持って
ねえさん、ねえさん、どこ行くの
私は九州鹿児島の 西郷隆盛 娘です
明治十年その年に 切腹なされた父上の お墓詣りに参ります
お墓の前で手を合わせ 南無阿弥陀仏と拝みます
お墓の前には魂が ふうわりふわりとジャンケンポン
私、この唄知っています!
歌詞は少々違う所もありますが、子どもの頃、この唄を歌って手まりをついて遊びました。
西郷隆盛が誰とも知らずに、名前だけは覚えました。
この唄の主人公「西郷隆盛 娘」と言えば、奄美大島で生まれた「菊草」の事。
後に奄美大島の母・愛加那の元を離れて鹿児島に来ましたが、それからどのような人生を送ったのでしょう。
興味を持ってドラマを見ていたのですが、あれ?ドラマには登場しない?
菊草の母 愛加那 wikipediaより
菊草のその後を追って、つらつら調べてみると・・・
「菊草」は鹿児島に引き取られて「菊子」と名を改めたそうです。
そして14歳の時に父・隆盛の従弟「大山誠之助」と婚約しました。
誠之助は「大山巌」の弟です。
しかし西南戦争が起こったため、誠之助も参戦そして敗戦。
投降・収監され、ようやく結婚したのは明治13年、誠之助30歳の時。
菊子は17歳になっていました。
その後4人の子どもに恵まれ、ようやく幸せになったかと思うのですが、実は誠之助には生活力がなく、借金を重ねていたというダメ男。
林真理子さんの原作の中で、誠之助は言ってます。
「わしは西郷さんから、島の娘を押し付けられた」と。
明治40年頃、菊子は誠之助と別居し当時京都市長をしていた菊次郎のもとに身を寄せました。
菊次郎は、京都市左京区聖護院川原町にあった官舎に住んでいたそうですが、その具体的な場所は特定できないそうです。
林真理子さんの原作では、菊次郎は門跡寺院「聖護院」の離れに住んでいる事になっています。
京都市左京区聖護院にある「聖護院」
兄の許でようやく安定した生活を得た菊子ですが、残念ながら2年後の明治42年に48歳という若さで亡くなりました。
お墓はひとまず京都に埋葬されたそうですが、後、東京の大山家の菩提寺に移されたといいます。
ネットで調べていると、奄美新聞社のHPに「菊草(菊子)」?とされる写真が掲載されていました。
西郷菊次郎のひ孫宅で発見されたそうです。
奄美大島新聞社の記事→http://amamishimbun.co.jp/2018/03/02/6054/
菊子の生涯を思うと、奄美大島から言葉も風習も違う鹿児島に来て、しかも父は戦いで死に、夫は頼りにならず、どれだけ苦労をしたか、想像するに余りあります。
でも晩年の写真を見ると、ようやく兄のもとで、奄美大島時代のように兄妹仲良く幸せに暮らした様子が伺えます。
これからも「菊子」さんの足取りを追って、いろんな資料が出てきて欲しいですね。
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