西郷菊次郎は、西郷隆盛と愛加那の長子として万延2年(1861)奄美大島で生まれました。
9歳で鹿児島の西郷家に引き取られ、12歳でアメリカに留学。
帰国して3年後の17歳の時、西南戦争に参戦しました。
しかし延岡・和田越えの戦闘で右足に銃弾を受けて膝下を切断。
西郷家の従僕・熊吉が、戦地に取り残された菊次郎を背負って政府軍の西郷従道のもとに投降したため、結果的に命が救われました。
その後は奄美大島に戻り、母の愛加那と一年間暮らしたと伝わります。
23歳の時に東京に出て外務省に入り、米国公使館に勤務。
明治20年には再びアメリカに留学しました。
日清戦争後には台湾で宣蘭庁長になり、宣蘭市のために力を尽くしました。
このとき造られた堤防が今も残っていて、その功績を讃えた石碑もあるそうです。
その後帰国して第2代京都市長になり「京都百年の大計」として発電、上下水道整備、市電設置の京都三大事業を推進しました。
愛知県犬山市「明治村」に残る京都市電
今も現役で走っています。もちろん乗りましたよ(^^♪
京都「平安神宮」に残る日本最古の電車
案内板から、次々と電車の路線が広げられ、やがて京都市電となる様子が分かります。
この時期、菊次郎は京都市の発展のために尽力していたのですね。
明治44年、京都市長を6年間務めた菊次郎は鹿児島に戻り、永野金山鉱業館長に就任。
私費で従業員子弟のために夜間学校などを作り、青少年の育成に努めました。
昭和3年(1928)鹿児島市の自宅で死去。享年68歳でした。
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