「西郷どん第一回紀行」の中で「いろは歌」の紹介がありましたが、よくわからなかったので調べてみました。
「島津義弘.COM」様のサイト(下記にリンクあり)に詳しく紹介されていました。
「日新公のいろは歌」
島津義弘の祖父でもある島津 忠良(ただよし)(号は日新斉・じっしんさい)が、5年余の歳月をかけ完成させたという薩摩藩の「郷中(ごちゅう)教育」の基本の精神となった47首の歌です。今でも、学校の朝の日課として使われています。その一部を紹介します。
●島津義弘 関ケ原の戦いで西軍に加担した島津軍300人は孤立状態となり、その状態を打開するため、的中突破を行った時の大将です。
●島津忠良:戦国時代の武将 1492年〜1568没
竹田神社内に忠良公のお墓といろは歌歌碑があります。
●郷中教育 薩摩藩独特の町単位の子供の教育制度
「いろは歌 最初の歌」(一部を抜粋しました)
「い」 いにしへの道を聞きても唱へても わが行に せずばかひなし
昔の賢者の立派な教えや学問も口に唱えるだけでは、役に立たない。 実践、実行することがもっとも大事である。
「か」 学問はあしたの潮のひるまにも なみのよるこそ なほ静かなれ
学問をするには朝も昼も間断なく修めなければならない。特に夜は静かで 勉強しやすい。無駄な時間を過ごすのではなく、しっかり勉強するべきだ。
「く」 苦しくも直進を行け九曲折の 未は鞍馬の さかさまの世ぞ
どんなに苦しくても、悪事を行ってはいけない。正道をいきなさい。鞍馬のつづら折の道のように曲がった道を歩んだものは、まっさかさまに闇の世界に落ち込むような目にあうものである。心正しい正道を歩みなさい。
「いろは歌 最後の歌」
「す」 少しきを足れりとも知れ満ちぬれば 月もほどなく 十六夜の空
少し足りないぐらいを満足とすべし。月も満月の次の十六夜の月は欠け始める。足るを知って楽しむ心が大事である。禅の「吾唯足知」に通じる教訓。
竹田神社(日新寺跡)
鹿児島県南さつま市加世田武田17932