井伊氏一族の居館跡で、北側にある墓石群には、渋川井伊家墓所として、井伊(直之・直貞・直秀・直幸・直親 他)の名前が残っています。
渋川村には、山里に居城を構えた井伊庶家、渋川井伊氏がありました。井伊谷井伊家八代目泰直の子の直助が上野左衛門次郎を名乗って分家し、直助の子の直貞が渋川太郎二郎を名乗り、この地に移り住んだことが、始まりといわれています。
一方、徳川家康の家臣として出世し彦根藩主を務め、幕末には大老を輩出する名家となった直虎らの筋とは、根本からまったく別の家系という説も。戦国時代、今川氏と斯波氏の戦いの際に、渋川井伊氏は斯波氏について敗れたため散り散りになり、その後、井伊谷の井伊家が台頭したともいわれています。
いずれにせよ、直貞のあと、直秀、直幸と代を重ね、井伊谷井伊家に匹敵する力を持っていたことは間違いないようです。
渋川井伊家の居城跡は、いまは長閑な農地になっています。目立った遺構はなく、緑濃い地を縫う堀跡と思われる窪みだけが、当時の名残り。
北側にある墓所に並ぶ墓は八基。井伊直之、直貞、直秀、直幸、直親などの名前が刻まれていますが、中には苔むし崩れ落ちそうなものもあります。
江戸時代の末期に、同じ敷地内から墓を移したときに植えられたと言われる菩提樹の木が、いまは静かに墓守をしています。
(浜松・浜名湖観光情報サイト)
廣度寺殿 井伊直之(四代惟直)
大蔵院殿 井伊直貞
廣福寺殿 井伊直秀
宗源院殿 井伊直幸
大藤寺殿 井伊直親
東光院殿 西尾半田(井伊)
宝蔵寺殿 西尾親範(井伊)
於寿丸公
井伊直親の墓
渋川の菩提樹は、樹高約8メートル、樹齢推定約300年。井伊家の墓所があった殿界戸(とのかいと)より墓をここへ移した時この樹を移植したと言われています。(江戸時代の末期)
お城・史跡 ブログランキングへ
応援のクリックお願いします。m(__)m