11月6日大河ドラマ「築城」は、ドラマ開始すぐに、大阪城内での軍議からスタートしました。幸村他浪人衆は、城から出て戦うことを決めますが、豊臣家臣団は、浪人衆を信用せず、籠城して戦うことを決めます。そこで、後藤又兵衛と幸村は、城の南に出城を築くことを提案しますが、茶々は認めません。そして、最後に秀頼は、幸村はじめ浪人衆の勝利への決意を知って言いました。
「この戦いの総大将は私だ、出城を造ることを認める」
幸村軍団は、出城造りに励み、完成させます。
「この城の名前はなんとしますか」
幸村「真田丸だ」
そこで、「真田丸」のタイトルが現れ、出演者が紹介され、いつもの真田丸の冒頭の場面が流れました。タイトルの「真田丸」を盛り上げる演出でした。
今回、紹介された紀行は、真田丸でした。以前に紹介しましたが、もう一度、真田丸の記事をアップします。
真田丸は、大坂城天守閣から南へ約2Kの所に真田山の地名が残っています。そこの明星学園の場所にあったようです。真田小学校など地名が残っています。
真田丸のあった場所にゆかりの史跡が残っています。
金網の右側が明星学園で、真田丸顕彰碑が建てられています
顕彰碑に東にある心眼寺には、真田幸村出丸城跡の碑が建っています
真田丸はこんな形だったろうと想像されています
三光神社には、幸村の像と大阪城まで通じていたとも言われている真田の抜け穴があります。
抜け穴(埋められたのか入ってすぐに行き止まりになります)
幸村像(鹿の角ついた兜はドラマでも同じ形です)
この辺りには、真田山小学校など、真田山の名前が残っています
真田山地図