京都国立博物館は、豊臣秀吉が創建した方広寺の南側に建てられています。
案内板に描かれていた「方広寺復元図」によると、大仏殿(青い四角)を中心とする境内は広大で、石垣(青い四角の枠)で四方が囲まれていました。
そして京都国立博物館の新しい展示館・平成知新館が、方広寺の境内にスッポリと入っているのが分かります。
大和大路通に面する方広寺の石垣は今もこのように現存しています。(●の位置から撮りました)
大和大路通に面して建つ京都国立博物館「正門」
「正門」向かって左横には方広寺南辺を区切る石垣があります。
現在はここで途切れていますが、当時はこの延長線上に、平成知新館の入口付近まで繋がっていたようです。
平成知新館建設工事に先立つ調査によると、その南辺の場所から長い石垣の下部石積みが発掘されたそうです。
現在はその石垣跡を示す石列(矢印の部分)が復元されています。
現在の平成知新館の入口付近には「南之門」がありました。
調査によると、やはり地下1mの深さから、南之門跡や回廊跡を示す柱の根石が発掘されたそうです。
入口の東側に水盤があり、その中に金属製の円環が規則正しく並んでいます。
これは柱の遺構の正確な位置を示しているもので、実物は地中で大切に保存されてるそうです。
そしてこれが大河ドラマの紀行で紹介されていた噴水です。
問題となった鐘は、この辺りにあったとか・・
他には、方広寺大仏殿で使われていた「鉄輪」が展示されていました。
by めりい
お城・史跡 ブログランキングへ
応援のクリックお願いします。m(__)m