JUGEMテーマ:大河ドラマ
秀吉によって建てられた伏見城は、現在のJR桃山駅の南側あたりにあったと言われています。
宇治川を望む高台で、観月の名所だったことから、一帯は「指月」と呼ばれていました。
城は金箔瓦で覆われ、たいへん豪華なつくりであったといわれています。
現在ある伏見桃山城キャッスルランド跡の模擬天守
(中には入れません)
しかし翌年M7.5の直下型地震に襲われ、城は倒壊。
秀吉は、再び指月の北側・木幡山に伏見城を再建しました。
現在明治天天皇陵となっているあたりが城の中心地であったと言われています。
明治天皇陵
しかし秀吉がその城に住んだのはわずか2年。
慶長3年(1598)秀吉は伏見城で死去しました。
秀吉の死後、徳川家康が伏見城に入って政務を執りましたが、慶長5年の関ケ原前哨戦で西軍に攻められ、城の大半は焼け落ちたと言われています。
その後、家康によって城は再建されましたが、1624年に廃城となり、城の建物や部材は福山城、淀城、二条城などに移築されました。
京都市伏見区にある御香宮神社の表門は、伏見城の大手門が移築されたと伝わります。
また二条城へは、伏見城天守が移築されましたが、寛延3年(1750)落雷により焼失。
唐門もまた伏見城の遺構と言われ、現在、重要文化財に指定されています。
二条城唐門
西本願寺にある唐門も、伏見城の遺構と言われ、国宝に指定されています。
装飾彫刻の色彩も鮮やかに残っていて、在りし日の秀吉の威光がしのばれます。
by めりい
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