元城町東照宮(引間城本丸跡)に、
徳川家康と
豊臣秀吉のブロンズの「二公像」が昨年12月にお目見えしたということで、早速出かけて来ました。
元城町東照宮は、浜松城やホテルコンコルド浜松のそばにあります。
明治19年旧幕臣・井上延陵の発起により創建されました。
石の鳥居の横には「
曳馬城跡」(引馬城址)と書かれた石碑があります。
こちらは、家康を祭神としている社で、社殿の扉や屋根には三つ葉葵の紋所が見られます。
引馬城の構築された時期については不明ですが、室町時代に吉良氏の家来によって築かれたという記録があるそうです。
1568年、三河から遠江入りした家康は、今川方の拠点であった引馬城を攻め入城しました。
その後、城地を拡大して浜松城を構築し、引馬城の跡には米蔵十数棟が建てられました。
(家康の散歩道の資料より)
元城町東照宮由緒
御祭神徳川家康公 事代主命 大国主命
明治維新後浜松藩代たりし旧幕臣井上八郎氏に依り明治十七年
元城町古城(旧曳馬城跡)に創建せられその管理祭祀を大日本
報徳社に委ねていたが昭和十一年その所有権が井上家より亦管
理権が大日本報徳社より大石力氏に引継がれ、その後元城町の
氏神として奉斎する事となり村社に列せられた昭和二十年戦災
により焼失せるも昭和三十四年に社殿手水社社務所等を再建し
今日に至る。
手水舎には、日光東照宮にもあるような「眠り猫」「鳳凰」「龍」などが見られます。
家康はわかるけど、なぜ秀吉まで?と思うかもしれませんが、秀吉(木下藤吉郎)は織田信長に仕える前、16歳前後の3年間、曳馬城主の配下の松下加兵衛に仕え、浜松で暮らしたことあるのです。
家康はその後の曳馬城を拡張。後の浜松城の基礎を築いたとされています。
家康像は高さ159cm。
秀吉像は135cm。
天下人2人が出世の足がかりとした場所として、パワースポットとなっています。
ここは、浜松城から歩いて約10分ほどのところにありますので、浜松城見学のついでにお立ち寄りください。