貞宮遙拝所(さだのみやようはいしょ)
明治30年、
楫取素彦は、明治天皇の第10皇女・
貞宮多喜子内親王の養育主任に任ぜられました。
しかし、内親王が三歳で夭折されたため、譲り受け、明治32年にこれらを納める遥拝所を防府天満宮境内に建立しました。
楫取の意思を継いで、毎年、内親王の命日にあたる1月11日に遥拝式が行われています。
今年の貞宮遙拝式遙拝式斎行後に「至誠のざくろ」植樹式も併せて行われました。
植樹された「ざくろ」は「花燃ゆ」を記念して、群馬県初代県令を務めた楫取が「至誠の人」と称えられたことから、楫取が崇敬した防府天満宮の梅を「至誠の梅」として平成26年10月28日、前橋市に寄贈した答礼に贈られたものです。
群馬では子孫繁栄の木として珍重され、歴代藩主も武士へ植樹を奨励しました。
当日は楫取家五代目当主・楫取能彦氏(楫取素彦の玄孫)、「文」役の井上真央さん、「楫取素彦」役の大沢たかおさんらと植樹式が行われたそうです。
そして、楫取素彦・美和子夫妻の銅像があると本で読んでいたので、境内を探し回ったのですが、どこにも見当たらない。
ちょうど近くにいた方に聞いてみたら・・・
私が訪ねたちょうどその日が何と
楫取素彦・美和子夫妻の像の除幕式だったのです。
私が着いたのは、式の始まる一時間前。まだこの白い布が取れないというので、仕方なく他の観光を先に済ませ、一時間後に再度ここに戻ることにしました。
一時間後、やっとその姿にお目にかかれました!
楫取素彦・美和子夫妻の像
どうですか?
楫取さんと美和子・・・皆さんのイメージ通りでしょうか?
私は何となく雰囲気が実物に近いと思います。
除幕式の模様はこちらをご覧ください。⇒http://www.hofutenmangu.or.jp/kongetunogiyouji/H27.3.29.html
ここ防府天満宮には、楫取素彦が教育主任に就くも夭逝された明治天皇第10皇女貞宮多喜子内親王の遺品を保存するため建立した貞宮遥拝所(毎年1月11日に遥拝式を斎行)や、奉賛会の総裁を務めた菅公御神忌1000年大祭を記念する石碑など、「至誠」の神菅原道真の崇敬者として尽力した跡が遺されている。
素彦は、藩医・松島家の次男として生まれ、幼い頃より儒学を学び、長州藩の重要な役職に就く。
吉田松陰とは熱い友情と尊敬の絆で結ばれ、松陰が江戸に送られる時、松下村塾を托される。
明治維新後は、現在の防府市長にあたる三田尻管掌を務め、初代の群馬県令となってからは、群馬の産業・教育の近代化に大きく寄与し「至誠」の人と讃えられている。
元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員などを歴任しつつ、明治16年には、三田尻(防府市)に居を移し、亡くなるまでの約20年間、防府の発展に尽力し、数多くの業績を残した。
美和子は杉家の四女・文として生まれ、兄である吉田松陰が教える松下村塾で学ぶ久坂玄瑞に嫁ぐ。
しかし、久坂は禁門の変により自刃。未亡人となった美和子であったが後に楫取素彦と再婚、人生を共にした。(碑の説明)
by shizuka
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