藩政改革を唱える
高杉晋作は、1864(元治元)年12月15日、長府功山寺で挙兵し、まずこの萩本藩の出先である
萩藩新地会所を襲撃しました。
下関上新地の
厳島神社鳥居の横に碑があります。
厳島神社
平家一門が安芸の厳島神社の分霊をいただいて守護神として戦中に祀っていましたが、壇之浦の合戦後、磯辺に漂着していた神霊を寿永4年(1185)に社殿を建立し、祀ったのに始まるといわれています。
高杉晋作は、1866年(慶応2年)の四境戦争に挑むに当たり、厳島神社において戦勝祈願を行ったといわれています。
(山口県観光情報より)
慶応2年(1866)の小倉戦争の戦利品として、
奇兵隊が小倉城から持ち帰った
大太鼓が、境内に飾られてあります。
直径110cm、重量390kgのこの大太鼓は、かつて小倉城内(現北九州市)北側の櫓にあって城下に時を告げていたものである。
慶応元(1865)年4月、徳川幕府は第二次長州征伐令を発し、翌2(1866)年6月、大島口(山口県大島郡)・芸州口(広島県)・石州口(島根県)・小倉口(福島県)の四境で戦いの火ぶたが切られた。この四境戦争での長州軍の勝利は倒幕への重要な契機となったが、中でも高杉晋作が指揮する小倉口の戦闘は最大の激戦となり、長州軍は奇兵隊・報国隊二隊を先鋒として戦い、ついに慶応2年8月1日、幕軍総師小笠原壱岐守が小倉城を脱出、小倉藩は自ら城に火を放って敗走した。攻め入った長州軍は余燼の中から戦利品としてこの太鼓を持ち帰り、戦勝祈願を行なった厳島神社に奉納したのである。
現在、維新顕彰並びに小倉戦争の記念行事として、ここ厳島陣屋では毎年8月の第一日曜日に「太鼓祭」を催している。
by shizuka
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