河原町丸太町バス停から約5分のところに、お宿「いしちょう」と旅館・石長松菊園があります。
お宿「いしちょう」
お宿「いしちょう」前の石碑
同じ石碑がこちらにも
石長松菊園前の石碑
この一帯に
木戸孝允が亡くなった家がありました。
元々は、近衛家の河原御殿だったのを、孝允が譲り受けて別邸としたのだそうです。
木戸孝允は天保4年(1833年6月26日)長州藩医・和田昌直の子として生まれ、幼少時に長州藩士・桂九郎兵衛の養子となり、
桂小五郎と称しました。
「石長松菊園」命名由来の「松菊」は、彼の雅号で、その後幕府の長州征伐令が出た時、長州藩主毛利敬親が孝允を参政に任ずるとともに姓を桂準一郎と改めました。
命を特に狙われ続けた幕末には、「新堀松輔」「広戸孝助」など10種以上の変名を使用し、明治になってからさらに孝允と改名しました。
孝允は明治10年西南の役のころ、明治天皇に供奉して京都にやってきました。
現在、木戸屋敷跡に「石長松菊園・お宿いしちょう」が建てられています。
お宿いしちょうHP参照
http://www.ishicho.co.jp/kido.html
後で知ったのですが、邸は隣接する市職員会館の敷地内に移築されたとか・・・
そこは見逃してしまいましたorz
ここは急な思い付きで行ったため、下調べが不十分でした(:_;)
by shizuka
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