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八重の桜
明治10年(1877)11月、神戸教会の献堂式に夫婦で出席。その後も、海水浴や保養をするなど、八重夫妻はたびたび神戸を訪れました。
明治21年4月、襄は東京で倒れ、八重は神戸から船で鎌倉で療養する襄のもとに駆けつけました。医師から襄の心臓病は治らないと告げられ、八重は悲しみに暮れましたが、12月になると、神戸の諏訪山公園の近くに二人で家を借ります。
こういうところにも、何事にもめげない八重の前向きな姿勢を感じますね。
当時、諏訪山公園は、和楽園と呼ばれており、ここで約一年保養生活を送りました。
夫妻は、ともに空気銃で遊んだり、神戸での生活を楽しんでいたようです。
同志社大学設立運動の募金活動を通じて交流があった広瀬宰平(幕末明治期に住友財閥と大阪財界発展の基礎を築いた実業家)は、襄を見舞いに訪れ、夫妻を同じ諏訪山にあった広瀬家別邸の晩餐に招待したそうです。
諏訪山に住んだのは、襄の療養の他、大学設立のための寄付金集めや、神戸教会などとの交流も目的であったとされています。
諏訪神社
諏訪山にある諏訪神社は、古来より当地の大氏神として皇室、武門武将の崇敬篤い古社として知られています。
神戸教会
襄が所属するアメリカンボードが創建した西日本最初のプロテスタント派教会。
現在の建物は、昭和7(1932年)に再建されたものです。
by しずか
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