会津若松市にある大東銀行会津支店の場所には、かつて木造三階建ての清水屋旅館がありました。
ここには幕末から明治にかけて、多くの歴史上の人物が訪れています。
嘉永5年(1852)吉田松陰は東北各藩を歴訪し、なかでも会津藩には特に関心を示して2度にわたって訪れています。
その時に泊まった「七日町の宿」がここ清水屋でした。
その16年後の慶応4年(1868)、戊辰戦争の宇都宮攻防戦で足に負傷した土方歳三が、この旅館に運び込まれ治療を受けています。
そして明治15年(1882)7月27日、八重は新島襄、伊勢時雄らとともに伝導のため会津を訪れ、この清水屋旅館に泊りました。
ドラマの中で、旅館の灯りに「御宿 清水屋」と書かれていましたね。
戊辰戦争後、会津から米沢に、そして京都へ移り14年。
戦いにより大きく破損した鶴ケ城はすでに取り壊され、城下町はすっかり変わっていたようですが、八重の故郷・会津への思いはいかばかりだったでしょう・・
ところが明治15年8月17日、喜多方出身の自由民権運動家・宇田成一らがこの清水屋旅館に宿泊中、帝政党員らに襲われて重症を負うという事件が発生しています。(清水屋事件)
ということは、八重たちは7月27日から数日間清水屋旅館に滞在していたので、帰ったすぐ後に事件があったのですね。
怖い話です。
自由民権運動と言えば、暴漢に襲われ負傷した「板垣退助」。
これも明治15年4月の事でした。
この時代は、まだまだ政情が不安定な時代だったのですね。
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