三条小橋を渡ったところに、
佐久間象山・大村益次郎遭難之碑が立っています。
実際に暗殺された場所は、「木屋町御池上ル」にあります。
二人はともに、幕末の兵学者であり、木屋町御池付近に居を構えていました。
暗殺された時期は5年ほどずれていますが、北町御池上ルの長州藩屋敷付近で暗殺されました。
佐久間象山 大村益次郎 遭難之碑
佐久間象山は信州松代藩出身で、儒学や朱子学を修め、西洋科学の導入で日本の殖産興国に尽力しました。
彼の塾からは、勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら傑物を排出しています。
元治元年(1964)に上洛し、開国論を唱えて公武合体に努めた為同年7月11日に刺客に惨殺されました。
大村益次郎は長州藩出身で、医学を梅田幽斎に学び、さらに緒方洪庵の適塾でも学んで兵学者となりました。
長州藩の軍事指導者として活躍し、その功績から維新後、兵部大輔に任命され、近代兵制樹立に尽力しました。
しかし廃刀論で士族の反感を買い、明治2年に三条木屋町にて反対派士に襲われ、同年敗血症で死去しました。
(案内板より)
妙心寺の塔頭・
大法院は、普段非公開ですが、春と秋に特別公開される真田家ゆかりの寺です。
寛永二年(1612)、松代藩主だった真田信之(真田幸村の兄)の孫・長姫が、信之の遺命で菩提寺として創建したと伝えられています。
長姫は妙心寺東海派玉浦下(ぎょくほか)の絶江紹堤(ぜっこうしょうだい)に禅を学んでいたことから、その法嗣・淡道宗廉(たんどうそうれん)を開祖としました。
院号は真田信之の法名「大法院殿徹岩一明大居士」に因んでいて、松代藩主真田家からは毎年五十石が施入され、藩寺として外護された塔頭でもありました。
また、松代藩主・真田幸貫の儒臣だった佐久間象山は、三条木屋町で攘夷派に暗殺され、大法院に墓がつくられました。
秋は紅葉の名所でもあります。
by しずか
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