こちらの
能福寺も清盛ゆかりのお寺ですが、まずは一般的に知られている
兵庫大仏を紹介します。
毘廬舎那仏(光明遍照)像で、像重量約60t、像高11m、蓮台と台座を含めると18mもの高さになる巨大な大仏像です。
これは豪商・南条荘兵衛の寄進により1891年(明治24年)に建立され、金属回収令で国に供出される1944年(昭和19年)までの間、奈良・鎌倉に次ぐ、日本三大大仏の1つに数えられた兵庫大仏を1991年(平成3年)に再建したものです。
1991年(平成3年)、2代目兵庫大仏の開眼法要には、比叡山天台座主を導師として、奈良東大寺の管長、鎌倉高徳院の管長らも臨席して行われました。
この大仏は神戸市の耐震基準によって設計されたため重心が低くなっているそうです。
清盛は、1168年2月11日、ここで出家し、浄海と名を変えました。
平家全盛時代は、「八棟寺」(やとうじ)という名で栄え、平家一門の帰依を集めたそうです。
清盛は、1181年2月4日に京都で亡くなりましたが、能福寺自伝によると、7日に洛東の愛宕で火葬され、遺骨は、清盛の遺言によって、当時の住職・円実(えんじつ)法眼が首にかけて京都から持ち帰り、能福寺の法華堂に納められたと伝えられています。(実際場所は確認されていません。)
かつては、清盛の供養塔(清盛塚)があったようなのですが、今はありません。
しかし、清盛の800回大遠忌記念に造られた平相国廟があります。
十三重石塔の右側は、能福寺の初代住で、清盛の剃髪出家の師匠であった圓實法眼宝篋印塔
左は清盛の弟の教盛の子・忠快(圓實法眼の弟子)の九重塔
by shizuka
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