源為義、義朝は河内源氏ですが、さて河内源氏とは何なのでしょう?
知っているつもりで知らないので、改めて調べてみることにしました。
源氏のルーツは清和天皇にありますが、初めて武士団を形成したのは、天皇の孫にあたる満仲であったと云われています。
その満仲の長子である源頼光が、父の摂津国多田(兵庫県川西市多田)の地を継ぎ、摂津源氏の祖となりました。
そして次男の源頼親が大和源氏の祖となり、三男の源頼信が河内源氏の祖となりました。
長子・源頼光といえば、酒天童子討伐や土蜘蛛退治の武勇で有名ですが、意外にも後に源氏の主流となったのは三男・源頼信の河内源氏でした。
鎌倉幕府を開いた源頼朝はもとより、室町幕府を開いた足利尊氏も河内源氏の子孫です。
また新田氏、細川氏などの多くの名門を輩出しています。
大阪府羽曳野市は、その河内源氏発祥の地です。
壺井八幡宮
この台地は1020年に源頼信が河内守赴任直後、河内源氏の本拠と定めた香炉峰の一角に当たるが、その後1064年、前九年の役を平定した源頼義が岩清水の神を勧請し、守護神として創建したのが始まりである。
現八幡宮及び権現社は元禄期に綱吉の命で再建されたものを平成に復元修理されたものです。
壺井権現社
源義家公の歌碑
吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな
戦よ、もう起こってくれるな。桜の花が散るように、人の命も散るではないか
これは千載和歌集に載せられている義家公の和歌です。
源義家は河内源氏三代目で、初代・頼信の孫にあたります。
八幡太郎義家とも呼ばれ、武勇に秀で源氏の中でも花形の英雄と崇められています。
簡単に河内源氏の系図を書くと
頼信⇒頼義⇒義家⇒義親⇒為義⇒義朝⇒頼朝・・となります。
ちなみに為義は、義家の孫とも、子であるとも云われています。
樹齢1,000年の楠
壺井八幡宮から続く通法寺には、河内源氏三代(頼信⇒頼義⇒義家)のお墓があります。
それは次の記事にします。
by merry
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