大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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白河北殿址
 

京都市バスの丸太町京阪前で降りると、京都大学熊野寮があります。

 

学生寮に沿って丸太町通りを西に向かって歩くと、北西角の金網の向こうに、白河北殿址の石標が立っています。

 

白河北殿は、白河上皇が六勝寺の西に建てた院御所です。

現在の東大路通りの西側で、丸太町通りあたりが白河北殿の中心であったとされています。

その後は上西門院の御所となっていましたが、保元元年(1156)7月に崇徳上皇が移り住み、保元の乱の舞台となりました。

 

白河北殿に結集した崇徳上皇・藤原頼長の軍勢には、源為義とその子・頼賢や為朝、そして清盛の叔父・平忠正が参上しましたが、その兵力は後白河天皇方には劣っていたと云われています。

 

そんな中で勇猛に戦ったのが源為義の八男・為朝でした。

為朝は世に聞こえた剛の武者で、弓の名手でした。

夜討ちをかけてきた兄の義朝勢を相手に強弓を放って応戦しました。
しかし白河北殿が炎上したため、わずか
4時間で勝負は決着し、崇徳上皇側は惨敗となりました。

 

戦いの後、父・源為義は斬首されましたが、為朝はその武勇を惜しまれて助命され、伊豆大島に流されることになります。


                by merry


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| 京都 | 11:53 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
高松神明神社
 

京都市中京区の姉小路通りを、釜座通りから東に入った北側に高松神明神社があります。


 

醍醐天皇の皇子・源高明の邸宅として建てられ、高明の娘で藤原道長の室となった明子が伝領し高松殿と称されました。

 

その後焼失したのですが、久安2年(1146)に鳥羽上皇の命で新造され、久寿2(1155)には後白河天皇がここで即位し、2年間里内裏として使われました。


 

保元の乱(1156)の際には、後白河天皇の本拠地となり、源義朝や平清盛らの軍勢がここに参集して、崇徳上皇側がこもる白河北殿へ攻め込みました。

 

その後、平治の乱(1159)で焼失しましたが、邸内に祀られていた鎮守社・高松明神は現在も高松神明神社として残っています。



                by merry 

 

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| 京都 | 11:59 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
宮島での大失敗
 

今回の宮島訪問の目的の1つは、もう一度大聖院に行くことでした。

 

その大聖院に向かっていた時、なんとデジカメのバッテリーが切れてしまったのです。

実は、前日夜、充電するのを忘れていたのです・・

 

大聖院に行った証のパンフレット(笑)

 

大聖院では、清盛が深く帰依したという十一面観世音菩薩を、しっかり目に焼き付けてきました。

 

もう写真も撮れない事だし、引き返そうかと思ったのですが、そうだ!ケータイ写真を撮ろうと思いつき、気を取り直して大聖院の横からスタートする登山コースに入りました。

 


治承
4(1180)、清盛とともに厳島神社に参詣した高倉上皇は、この登山コースの先にある滝宮神社にも詣でました。

その際に、大岩の上から白糸の滝を観覧したことから、その岩を「御幸岩」と呼ぶようになったそうです。

10分くらい歩くと、白糸の滝に到着しました。

後ろが白糸の滝なので、正面の岩が御幸岩(?)


滝宮神社・・多分


実は、白糸の滝の表示だけはあったのですが、滝宮神社と御幸岩には表示がありません。

ただ私の資料には「滝宮神社は台風の被害で現在再建中」と書いてあるので、おそらくこれだと
勝手に決めて、ケータイ写真を撮ったのです(笑)

 

ボケボケ写真ですね()

 

そして引き返し、今度は大願寺に向かいました。

大願寺山門

これは、7年前に撮った写真です。

山門の写真だけありました()


 

大願寺境内


 

治承元年(1177)清盛と、その長男・重盛が厳島神社に参詣した時、重盛が大願寺境内に松を植えたと伝わります。

その老木です。


 


そして大願寺を過ぎて、さらに進むと清盛の「経塚」があります。
急な階段を登ります。


 

清盛が小石にお経を刻んで納めたと伝わるため、「清盛塚」とも呼ばれています。

 

ここは小高い丘なので、いい景色が見られます。

 


さらに清盛神社にも向かうはずだったのに、なぜかすっかり忘れて引き返してしまいました
(;_;)

 

そんなこんなでハプニングの多い広島の旅でしたが、清盛の史跡をたくさん見られ、私にとっては大満足の2日間でした。

広島で買ったお土産です。





       by merry


       

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| 広島 | 16:17 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
厳島神社の鏡池
 

弥山から降りてきて昼食を済ませ、厳島神社まで来た時には引き潮になっていました。

ふと見ると、丸い水たまりが・・

 

あっ!これは少し前に「歴史秘話ヒストリア」で紹介されていた鏡池(かがみがいけ)


 

NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」によると、これは海水の水たまりではなくて、地下から真水が湧き出ている池だそうです。

引き潮になると、ここから溢れた水が川をつくり、海へと流れ込みます。

川と海とがひとつになる所はとても神聖な場所と考えられていて、そこに神社を建てれば最も神が降りて来やすいと考えられたそうです。

 

厳島神社にはこの鏡池が3箇所あるそうです。

裏の方の道にそって歩くと、もう1つ見つかりました。

 

こうなるとまるで宝探しですね()

 

でも、もう1つは・・・行方不明でした(;_;)

 


もし、もう一度宮島に行くとしたら、この
3つはぜひクリアーしたいと、密かに心に誓うmerryでした()

                       by merry


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| 広島 | 13:15 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
宮島の弥山
  

宮島の後ろには標高535mの弥山がそびえています。
古くから修行の地として多くの修験者を集め、頂上には弥山伽藍と呼ばれる多くの寺社が点在しています。

ではロープウェイに乗って出発です。

  

眼下には原始林が広がります。

 

かや谷駅で乗り換え。

やったー! 
清盛キャラのロープウェイです。


 

獅子岩駅に到着

 

まずは獅子岩展望台へ。

霞んでいますが、江田島が見えます。


 

獅子岩駅から弥山頂上まで行くにはかなり歩かなければいけない事は覚悟していたのですが、こんなに起伏があるとは思ってもいませんでした(;_;)


 

かなりハードでしたが何とか弥山頂上に到着

目的のひとつめ弥山本堂です。

 

本堂の中には、清盛の三男・宗盛が寄進した梵鐘があります。


 

その向かい側には霊火堂があります。


弘法大師が修行をした時に焚いた護摩の火が1200年以上経った今も燃え続けています。

1200年もの間、一度も消えていないって、すごい事ですね。
今では「きえずの火」と言われ、恋の火も消えないようにお祈りする、恋人の聖地になっています。
どうりで、大勢のカップルが来ていました。

 

さて、ここから弥山頂上を一周します。

三鬼堂、観音堂、文殊堂を過ぎ、くぐり岩を抜けると


 

弥山展望台です。

お天気が良ければ四国連山が見渡せるそうですが、あいにく霞んでいます。


 

展望台下には、大きな岩がゴロゴロしています。

弥山には、なぜか巨石が沢山あります。


そしてさらに干満岩を通り過ぎ、大日堂を過ぎやっと目的のふたつめ御山神社に到着です。



 

御山神社は厳島神社の奥宮で、本殿三棟が品字形に並び、御祭神三女神が夫々一柱ずつ祀られています。いずれも一間社流造で、屋根は柿葺、丹塗の御社殿で、昔から「さんきさん」として崇敬の篤いお社です。

 

あれ〜?あれれ?

私が持っている資料には「清盛が厳島神社の奥の院として建立」と書いていますが。



 

まあ・・厳島神社の奥宮だから、きっと清盛も関係していたに違いないでしょう。

 

こうして弥山頂上を一周し、再びロープウェイに乗って下山しました。

トータル3時間くらいかかったでしょうか。
とにかく疲れました・・


         by merry


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| 広島 | 11:52 | comments(7) | - |- pookmark↑PAGE TOP
安芸の宮島
 

 

 広島旅行の2日目は、清盛ゆかりの地の定番・安芸の宮島です。

時間が早かったせいか(10時前)こんなに静かです。

 

今回の宮島訪問の目的は、清盛ゆかりのポイントを徹底的に回ること()

そのために、沢山の資料を集めて調べました。

 

まずは「二位殿灯籠」

宮島の民話によると、壇ノ浦で海に飛び込んだ二位の尼・時子の亡きがらが、なんと、ここ宮島の有之浦に流れ着いたそうです。

そこで、光明院隣にあった神泉寺に仮安置されたのち、手厚く弔われたとか。

このあたりを、別名「尼の洲」とも言うそうです。


 

そして海の中に大鳥居が見えてきます。

4月の強風で破損したため、現在修理中です(618日まで)


 

満潮時間が近い厳島神社
先を急ぐので、拝観は後回しにしました。


 

三翁(さんのう)神社
奥には桃山時代の様式をもった本殿三社が並んでいます。




 

中央本殿に安徳天皇、二位の尼などが祀られています。


 

後白河法皇お手植えの松

承安4(1174)、後白河法皇が建春門院とともに厳島神社に参詣した際に植えられた松と伝えられています。明治初期に切り倒されました。



 

 

このあと宮島の後ろにそびえる弥山へと向かいました。

         by merry

 


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| 広島 | 10:03 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
源頼朝生誕の地
 

名古屋の熱田神宮近くの旗屋町の誓願寺に源頼朝生誕地の石碑があります。

頼朝生誕3

頼朝生誕1

ここには熱田神宮大宮司である藤原氏の別邸がありました。

頼朝生誕2

熱田大宮司・藤原季範の娘・由良御前は、源義朝の正室となり、義朝との間に頼朝を身ごもった際、この別邸で出産しました。

熱田神宮の宮司とは、熱田、鹿島、香取、宇佐、阿蘇、気比などの神社を束ねる神職の長というたいへん高い身分で、その地位は世襲制でした。

頼朝が義朝の三男でありながら、嫡子となったのは、母親が高い家柄の出だったからです。

(義経紀行より)

由良御前の兄弟である範忠と範雅は、後白河天皇に、また姉妹は待賢門院(後白河天皇の母)や上西門院(後白河天皇の同母姉)に仕えました。

由良御前の父であり、頼朝の祖父である藤原季範は、鳥羽院の乳母悦子の従兄弟という関係にありました。



by shizuka


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| 愛知 | 00:00 | comments(5) | - |- pookmark↑PAGE TOP
源平の戦いと金環日食
 

今日は(2012521)関東地方から南九州にかけて金環日食が見られるというので、朝から日本中が大騒ぎですね。

 

私も金環日食のデジカメ撮影に挑戦しようと思い、太陽観察グラズを準備し、本日にそなえました。

 

そして今日、朝7時前

試し撮りの部分日食の写真です。
準備OK!


 

ところが本番だというのに・・

ありゃ・・雲に覆われてしまいました。

残念・・
()


 

ところで、この金環日食。
なんと源平の戦いの時にも起こったそうです。

 

寿永2(1183)10月1日、都落ちして屋島に拠点をおいていた平家と、それを追討する源義仲軍との間で行われた「水島の戦い」の時のことでした。

源平衰勢記によると戦いの最中に「闇夜の如く」になったそうです。

 

もちろん「闇夜」とは誇張がありますが、95%ほど欠けた金環日食が起こったのは確かなようです。

 

祈祷や陰陽師がはびこる平安時代の事、この不吉な兆候に源氏は浮き足立ち、結局、京の都まで敗走するハメになったといいます。

 

一方平氏は、この金環日食が起こることを知っていたそうです。

やはり長く朝廷や公家の近くにいたので、天体の知識もあったのですね。

だから「闇夜」にひるむ事なく、有利に戦いを展開し、勝利をおさめたという訳です。

 

この勝利により、平家は一時的に勢いを挽回し、福原まで勢力を盛り返したのですが、結局一の谷の戦いで敗退し、壇ノ浦へと落ちていくことになります。

 

そんな歴史に思いを馳せながら金環日食を見ると、またひと味違った面白さがあります。

時代は変わっても、天体ショーは繰り返されて行くのですね。

         by merry


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| - | 10:25 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
熱田神宮
 

源頼朝の母・由良御前は、熱田神宮の大宮司・藤原季範の娘です。

名前ははっきりとは分からないそうですが、伝承では由良姫と呼ばれ、季範の三女とされています。

数多くいる兄弟の中でも母の出自が高い頼朝は、早くから源氏の棟梁・源義朝の後継者と目されていました。

保元の乱の時には、熱田大宮司家から源義朝に援軍を送ったと云われています。

 

熱田神宮は、今からおよそ千九百年前に、日本武命(やまとたけるのみこと)の妃によって三種の神器の1つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)が祀られたのを起源としています。

以来、伊勢神宮につぐ格別に尊いお宮として崇敬を集めています。

 

本宮の拝殿


 

拝殿から見える本宮社殿

 

神楽殿


 

斎館・勅使館


 

西楽所

将軍綱吉の再建で、桧皮葺が美しい建物です。


 

信長塀

織田信長が桶狭間出陣の時、熱田神宮に必勝祈願してみごとに大勝したので、そのお礼として奉納した築地塀です。

兵庫西宮神社の大練塀、京都三十三間堂の太閤塀とともに日本三大土塀の1つとして有名です。

 

ならずの梅

高さ3mほどの枯木で、江戸時代に模写した享禄古図(室町時代の境内)にも描かれているそうです。

花は咲くが実がつかないから「ならずの梅」とか。

ちょうど花が咲いている去年(2011年)の3月に訪れました。


熱田神宮は名鉄・神宮前駅よりすぐです。

 

                 by merry


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| 愛知 | 11:20 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
清盛の日招き像

JUGEMテーマ:NHK大河ドラマ「平清盛」

 

清盛が音戸の瀬戸開削工事を行うにあたり、なんと沈む夕日を招き返して1日で完成させたという伝説があります。

豪快というか、傲慢というか・・
ありえない話ですね。

 

高烏台公園には、音戸の瀬戸開削800年を記念して建立された清盛の日招き像があります。


 

かなり高台に来たのに、さらに歩いて登ります。


 

ここには清盛の日招き像と日招き岩があるのですが、先に清盛像に向かいました。

 



 

やっと日招き像とご対面です。


 

なかなか美男ですね。

ここまで頑張って歩いた甲斐がありました()

 

ツツジが綺麗に咲いています(5月7日撮影)

音戸の瀬戸では4月に2,300本の桜が、5月には8,300本のツツジが咲き乱れるそうです。

その時期を狙って来ました()

 

少し降りて先ほどの分かれ道に戻り、日招き岩に向かいます。

 

私が持っている資料には「日招き像から、山道を200m下る」と書いていたので、草をかき分けて歩くのかと心配していたのですが、こんなに整備された綺麗な道でした。

 

 

音戸の瀬戸切り開き工事を急ぐ平清盛が日迎山(高烏)の岩上に立って天に祈り、金の扇を開いて西に沈む太陽を中天に招き返し、永萬元年(1165)710日その日のうちにこの難事業を完成させたという伝説の岩で、清盛公の足跡と杖をついたというくぼみがある。

 

思っていたより大きな岩です。


 

足跡


杖のくぼみ


 

下は絶壁なので、非常に危険です。

 

危険と言われればやってみたいのが人間の心理()

岩の上に乗ってみました。
下には絶景が広がります。


 

この高烏台公園は山手の方にあるので、よほど足に自信がない限り歩いて行くのは大変です。

土日祝なら無料のシャトルバスが出ています。

 

音戸の瀬戸へのアクセスは⇒http://www.kurenavi.jp/html/kiyomori_page08.html

 

他の交通網も、土日祝なら充実しているようです。

 

 それを知らずに、私が行ったのは月曜日でした・・

さて再びタクシーに乗り、呉駅に向かいました。
途中、呉市内の観光もしましたよ。

その記事は「みんなのブログ」に掲載します。


         by merry



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| 広島 | 20:38 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP