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江〜姫たちの戦国〜NHK大河ドラマ富士見櫓から蓮池濠の石垣沿いに遊歩道を北に進むと、植込みの中に松の大廊下跡の標石があります。
松の大廊下跡
忠臣蔵でおなじみの元禄14年(1701年)3月14日赤穂藩主・浅野内匠頭長矩が殿中で吉良上野介義央への刃傷事件を起こした場所です。
廊下に沿った襖戸に「松」と「千鳥」を主題にした絵が描かれていたことから「松の大廊下」と呼ばれ、江戸城で2番目に長い廊下でした。
石室
抜け穴とか、金蔵とか諸説がありますが、大奥御納戸の脇という場所柄から、非常の際の、大奥用の調度などを納めたところと考えられます。内部の広さは、20平方メートルあります。伊豆石(伊豆半島産の安山岩)で作られており、天井には長い石の坂が使われています。
芝生の庭園の中ほどに「午砲台跡」の標石があります。
本丸跡は気象台発祥の地でもあり明治期から昭和30年代まで気象庁の官舎もありました。
明治4年(1871)正確な時間を知らせるために、ここに午砲台(ドン)が設置され、昭和4年(1929)に廃止されるまで、「ドン」の愛称で東京府民に親しまれていました。
本丸跡
江戸城本丸は表、中奥、大奥の三つに大別されました。
政務を執る公の場が表で、将軍への謁見や公式の儀式が執り行われました。
中奥は、将軍の私的な居住空間で、小姓など男性だけが将軍に奉仕しました。
大奥は将軍の正室である御台所が住み、多くの女官が住み働く場で、中奥と大奥は御鈴廊下で結ばれていました。
最盛期には、数百人の女中が住んでいたと言われています。
そしてこの大奥を創設したのが「江」です。
江戸城の天守閣は、二代将軍秀忠の代の慶長11年(1606年)と翌年の2年にわたって建設され完成しました。その後、元和8年(1622年)、承応2年(1635年)とたびたび修築され、寛永14年(1637年)三代将軍家光の代に国内で最も大きな天守閣が完成しました。
天守閣は、地上からの高さは58mあり、天守閣の基礎石積みは、44メートル四方、高さ18メートルで、その上に金色のシヤチを頂く外観五層、内部6階の天守がそびえていました。
しかし、明暦3年(1675年)の大火(振り袖火事)で焼失した後は、再建されず、基礎石である石垣だけが残っています。
天守台から見た本丸方面
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by shizuka