諸大名の陣跡
名護屋城の周りには、秀吉の命令に従って集まってきた全国諸大名の陣跡があります。
その数は、なんと120を下らないそうです。
特別史跡として整備されている場所や個人の私有地になっている所などがあるそうですが、とりあえず私は、徳川家康の陣跡だけ行くことに決めていました。
簡単な地図をたよりに車を走らせると、意外に難なく陣跡に到着しました。
家康様のお導き?(笑)
名護屋保育園の園庭に隣接しているので、入口には園児が入らないように柵が設けられています。
家康は文禄の役に際し、15,000人の兵を駐屯させ、名護屋城の守りにあたりました。
ここは通称「竹の丸」と呼ばれた場所で、本陣が置かれていたそうです。
また名護屋湾を挟んだ対岸の「地獄の浜」にも別陣もあり、名護屋湾の要衝を固めました。
さて、陣跡を見るのはこれで終わりにする予定だったのですが、車を走らせているとこんな案内標識がありました。
陣屋通り
しかもカーナビに次々と「○○陣跡」の表示が出るのです。
これは無視して通過できないですね(笑)
カーナビ様の指示に従い、いくつかの陣跡を訪ねてみることにしました。
九鬼嘉隆陣跡
加藤清正陣跡
この案内標識の矢印に従って細い道に入ったのですが、そこから先に案内板はありませんでした。
つまり、この矢印で示している森のあたりが清正の陣跡という意味だったようです。
カーナビは福島正則の陣跡も表示して、それらしき小山もあったのですが、案内板が見あたらないので確定できませんでした。
池の向こう側正面の小山が片桐且元の陣跡です。
左には津軽為信、右には木村重隆の陣跡があります。
堀秀治の陣跡です。
ここはよく整備されています。
正面の小山が豊臣秀保の陣跡です。
陣屋の中でも最大規模を誇る広さで、発掘調査もされているようです。
何か見られるかと思って、近くまで車を進めたのですが、道がだんだん細くなるので引き返しました。
豊臣秀保ってあまり知られていないのですが、秀吉の姉「とも」の三男です。
つまり豊臣秀次・秀勝・秀保はだんご三兄弟だったのです。
さてまだまだ興味は尽きないのですが、見ていたらきりがないので、この辺で引きあげる事にしました。
次は唐津城です。
by merry
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