大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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堺の南宗寺(2)
 
JUGEMテーマ:江〜姫たちの戦国〜NHK大河ドラマ

南宗寺の塔頭・天慶院の門前に、山上宗二の一会塚があります。
山上 宗二は、利休の高弟であり、茶匠としては秀吉に仕えていましたが、天正12年(1584年)に暴言を吐き、秀吉の怒りを買い、浪人に。この時に前田利家に仕えるようになりますが天正14年(1586年)にも再び秀吉を怒らせて高野山へ逃れました。その後は小田原に下って北条氏に仕えました。天正18年(1590年)の秀吉の小田原攻めの際には、利休の計らいで秀吉との面会することになりましたが、またもや秀吉の怒りを買い、耳と鼻を削がれた上で、打ち首にされました。


  





また同じく南宗寺の塔頭である本源院は、貞享4年(1687)密玄宗要が薩摩藩主・島津家の祈願所として建立されました。



本源院の境内には、織田信長・信忠父子の供養塔があります。



なぜここに信長父子の供養塔があるのか。説明版には書かれてなかったので、これから調べてみたいと思います。

by shizuka 

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| 大阪 | 07:00 | comments(3) | - |- pookmark↑PAGE TOP
堺の南宗寺(1)
JUGEMテーマ:江〜姫たちの戦国〜NHK大河ドラマ
  南宗寺は、大阪府堺市堺区にある臨済宗大徳寺派の寺院で、弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、大林宗套(だいりんそうとう)を迎え開山しました。本尊は釈迦三尊。茶人の武野紹鴎、千利休が修行をした寺院です。  天正2年(1574年)の松永久秀の兵火で焼け、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による焼失後、当時の住職であった沢庵宗彭よって現在の場所に移転して再興されました。現存する仏殿、山門などは、沢庵の没後、17世紀半ばに整備されたものです。太平洋戦争の空襲で開山堂、実相庵、方丈、庫裏を失いましたが、実相庵、方丈は再建されました。 境内には国指定名勝の枯山水の庭、国指定重要文化財の仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、武野紹鴎の供養塔、三好一族の墓所、津田宗及一門の供養塔、利休好みの茶室・実相庵、坐雲亭などがあります。


 

山門






  正保4年(1647年)の建立で、甘露門ともいいます。三間一戸、入母屋造、本瓦葺きの楼門。二階建ての禅宗様と和様の折衷様式で、上層に手すりのついた縁がまわる楼門形式の門です。

唐門





仏殿の右方にある門。柱間をつなぐ梁に彫られた模様や、柱の先に突き出た木鼻という彫物などが、仏殿や山門と同様の形をしていることから、同じ時期に建てられた建物と考えられています。
 
千家一門の墓






中央に利休宗易居士の碑、右に不審庵(表千家)、左に今日庵(裏千家)、官休庵(武者小路千家)の碑が立っています。
 

利休の茶の師である武野紹鴎の碑



津田一門の墓



利休と並び称される津田宗達、その子宗及一門の碑。今は、宗及の娘婿、半井ト養の墓碑も並んでいます。

方丈の枯山水庭園 



古田織部の作と伝えられ、国の名勝に指定されています。
 
水琴窟

 IMG_4099 B

方丈庭横では、水琴窟の音を竹筒で聞けます。「曹渓の庭」に敷かれた那智黒石の一角より澄んだ水滴の音がしてきます。

茶室・実相庵




 
千利休好みと伝えられ、1963年に再建されたものです。二畳台目、平天井と蒲の落天井の二段構成。側壁は、瓢形に壁を残し、給仕口を開襖とし、にじり口を点前座より開けるといった特色があります。
 
紹鴎遺愛の六地蔵燈籠 



 六地蔵のお姿がおわかりになりますか?

 

仏殿



承応元年(1652年)建立の禅宗様仏殿。入母屋造、瓦葺き、一重裳階付き。内部は石敷きの土間で、中央仏壇上に本尊釈迦三尊像を安置。内部の天井には、狩野信政筆の「八方睨龍」が描かれています。実際、仏殿の中を、龍の目を見ながら移動してみると、ずっと睨まれたままでした。 (堺観光ガイド、南宗寺パンフレット参照)

アクセス 阪堺線「御陵前駅」下車 徒歩10分

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| 大阪 | 07:00 | comments(5) | - |- pookmark↑PAGE TOP
堺の利休屋敷跡
 先日、大阪に行ったついでに、利休が生まれた堺まで足を延ばしてみました。
阪堺線「宿院駅」を下車すぐのビルの谷間に、千利休屋敷跡があります。



利休屋敷跡には、椿の井戸と京都の大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形があります。



千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鴎に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。利休は、現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。(堺観光ガイドより)









宿院の駅を降りると、利休屋敷跡の案内板があります。このような目立つ史跡ではないものは、案内板があると非常に助かりますね。

by shizuka

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| 大阪 | 15:06 | comments(2) | - |- pookmark↑PAGE TOP
利休屋敷
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26日大河では、家康への国替え、相次ぐ身内の死、朝鮮特史への態度、利休の茶頭辞任の申し出といろいろな出来事がありました。そして、秀吉への利休の影響力を案じた三成の策略を受け入れた秀吉は、利休に切腹を命じました。
人のよさそうな顔の三成にもこんな残虐なところもあったのです。

 利休の屋敷の一つが晴明神社にあります。

信長、秀吉に仕えた茶人で、1587年の秀吉の北野大茶会を仕切り、一切の無駄を省いた飾りの無い状態でのわび茶を完成させた。
秀吉の怒りにふれて1591(天正19)年2月に切腹させられました。享年70歳


聚楽第近くににあった利休宅(現在は晴明神社)
千利休屋敷跡



晴明井
利休が茶を点てる時に使った洛中名水の一つで秀吉に振舞ったり、最後に自分のために点てた聖水の湧き出た井戸
清明井


一条戻橋
切腹の後、利休の首はこの橋のたもとに曝されました。実際に使っていたもので現在は、この神社から南へ100mのところに架かっています。                                       
一条戻橋
















利休屋敷は聚楽第近くにありました。
利休屋敷地図


晴明神社は、平安時代の有名な陰陽師:安部晴明(あべのせいめい)の屋敷跡でもある
晴明神社


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| 京都 | 01:59 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
北条早雲公の像

小田原を象徴する人といえば・・
やっぱりこの人。北条早雲です。
 
 

小田原駅西口に像があります。


戦国時代の幕開けとともに登場した北条早雲は、小田原を拠点とし、5代にわたる北条氏の基礎を築きました。
そして100年後の北条氏滅亡とともに、戦国時代もまた終焉を告げました。

北条氏は、まさに戦国時代を代表する大名と言えますね。

 

さて大河ドラマでは、淀殿とお江が小田原の秀吉の陣から、富士山を眺めるシーンがありました。

箱根旧東海道杉並木から見た富士山です。

 

お江はこの後も江戸〜京・大阪間を往復するので、何度も富士山を見たでしょうが、淀殿にとっては、これが最初で最後だったでしょうね。

 

いつも大河ドラマゆかりのグッズを買うのですが、今回はそれらしきものが見当たらなかったので・・
大涌谷で食べた黒たまごです。


 

こうしてmerryの小田原攻略の旅が終わりました(笑)



                        by merry 


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| 神奈川 | 11:32 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
北條氏政・氏照の墓所
  

籠城戦に入って3カ月。
ついに若き城主・北条氏直が小田原城を出て、自らの命と引き換えに城兵の命を助けるように嘆願してきました。

秀吉は、このけなげな氏直の命はとらず高野山追放とし、主戦派とみられる父・氏政と氏政の弟・氏照そして重臣2人に切腹を申しつけました。

 

ここに北条早雲以来、5代、およそ100年にわたって関東に覇を唱えた戦国大名・北条氏は滅亡したのです。

 

小田原駅東口から徒歩5分くらいのところに、北条氏政・氏照の墓所があります。

 

「ホテルとざん小田原」の並びにあります。

 

 





生害石

この石の上で自刃したと伝わります。

 

右の五輪塔は氏政夫人・中央は氏政公・左は氏照公と伝わります。


 

卒塔婆型墓碑

法名のあとに、天正18711日、北條相模守氏政・北條陸奥守氏照と刻まれています。

 

さて、命拾いした氏直は高野山に入りましたが、早くも翌年8月、舅・家康のとりなしで秀吉から赦免され、知行1万石を拝領します。

しかしその3ヶ月後の11月、気の毒なことに疱瘡を患って死んでしまうのです。

本当に不運な人ですね。

 

次は北條早雲の像です。

                by merry


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| 神奈川 | 16:32 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
小田原城
  

小田原城は北条早雲以来、5代にわたって繁栄した関東の覇者・北条氏の居城です。

信玄・謙信をも退けた難攻不落のこの城に、秀吉は20万もの大軍をもって海陸から取り囲みました。

 

小田原駅から歩いて10分くらいでお城に到着。

北条氏時代の小田原城は、堀と土塁を中心とする土造りの中世城郭でしたが、現在のお城は、大久保氏や稲葉氏によって築かれた近世城郭を復元したものです。

 

住吉堀

山城ばかり見てきたので、このお堀の水を見ると心が潤います。

 

馬出門

大手筋の門で、江戸時代初期からこの位置にあったそうです。

平成1520年にかけて新しく整備されました。


 

住吉橋と内仕切門

 

銅門(あかがねもん)

扉の飾り金具に銅が用いられています。


 

常盤木門

本丸の正面にあたり、小田原城の城門の中でも最も大きく堅固に造られています。

江戸時代初期からあったそうです。


 

天守閣

昭和35(1960)に復興された34階の天守閣です。


 

天守閣から見る石垣山

一夜にしてお城が出現したので、北条氏もびっくり仰天して戦意を喪失したと云われています。

秀吉らしい演出ですね。


 

本丸跡


 

二の丸跡

 

小田原城内では籠城か抗戦かの意見に分かれ、やたら時間ばかりが過ぎました。

これが世に言う「小田原評定」です。

やがて北条氏は籠城を余儀なくされ、秀吉お得意の兵糧攻めに追い込まれていきました。

 

次は北条氏政・氏照の墓所です。

                by merry


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| 神奈川 | 14:29 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
太閤石風呂

 

山中城跡を見学した後箱根町に戻り、箱根登山バスに乗り換えて宮の下温泉方面に向かいました。

「宮の下」の4つ手前のバス停「上底倉」で降りると、道案内があります。


 

案内に沿って歩くと、太閤石風呂通りに出ました。

 



太閤石風呂

蛇骨川渓流の対岸にあります。
残念ながら、下に降りることは出来ません。


 

ズームアップしてみます。

 

案内板によると、

小田原城攻略のため東進してきた秀吉は、小田原城を見下ろす石垣山に城を築きました。

その2カ月の間、この地に石風呂を作り、将兵の戦傷をいやし無聊を慰めたと伝わります。

また518日、伊達政宗の帰順を祝うため、徳川家康や淀殿をはじめ幾多の武将をひきつれて、新緑の山つつじに映えるこの地で盛大な宴を催しました。

 

淀殿もこの石風呂に入ったのでしょうね。

 

近くには太閤の滝があります。

 



秀吉の温泉好きは有名で、有馬温泉にたびたび通っていたという記録が残っているそうですが、箱根の温泉にもこんな逸話があったのですね。

 

再びバスに乗って、小田原駅方面に向かいました。

                by merry

 

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| 神奈川 | 11:28 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
山中城跡公園

 

山中城は、小田原に本城をおいた北条氏が、永禄年間(1560年代)に小田原防備のため創築した国境の出城です。

天正18年(1590)の小田攻めに際し、北条氏はこの城を領国防衛の第一線の要塞として整備・増築を行いました。
しかし4千の北条軍に対して4万もの豊臣軍が取り囲んだため、奮戦空しく、わずか半日で落城しました。

 

場所は箱根と三島を結ぶ国道一号線の中間地点にあり、所在地は静岡県三島市です。

箱根町から三島に向かって沼津登山バスが1時間に1本くらい出ているので、少し足を伸ばして山中城跡公園に向うことにしました。

ただ私が行った5月は、計画停電による観光客激減の後だったので、バスは2時間に1本しかありませんでした。

所要時間は15分くらいです。



 

バスを降りてまず驚いたのは、その広さです。

出城というイメージから、1時間もあれば回れると思っていました。

とりあえず、大急ぎで歩きます。


 

二の丸跡

今まで見た山城では、たいてい山を削って平坦にしてありますが、ここはなぜか南北に傾斜しています。


 

二の丸から本丸に続く本丸西橋 


本丸跡


 

本丸から北の丸に続く本丸北橋

山中城の堀には多くの土橋があるのですが、ここには木製の橋が架かっています。

木製の方が簡単に破壊できるので、本丸など重要な場所には防御のため木製が用いられたそうです。



北の丸跡

 

西の丸跡

 

 

城跡といえば、壊れた石垣などをイメージしますが、山中城は石垣を使う以前の城なので、土塁と堀で構成されています。

土塁


 


 

障子堀

これは大変めずらしいもので、私も初めて見ました。

昭和48年より遺構の復元調査が行われたところ、堀底に畝状の仕切りある「障子堀」が次々現れ、全国的な話題になったそうです。

南北800m東西400mの山中城のほぼ全域に復元されています。

 

このあたりで予定時間が近づいてきたのですが、まだ国道1号線を隔てた向こうに御馬場曲輪や見晴らしが良い出丸などがあります。
時間を延長しようかと思ったのですが、次のバスは2時間後しかありません。
2時間も延長すると次の
予定に差し障るので、泣く泣くあきらめることにしました。

 

最後のわずかな時間で、この戦いで命を落とした一柳直末のお墓参りをしました。

宗閑寺

 

一柳直末のお墓

 

あとから気がついたのですが、左にチラッと写っているのが山中城の城主・松田康長のお墓でした。

豊臣方と北条方が仲良く並んでいたのですね。

 

さて、あたふたとバスに乗り込んで、次は宮の下温泉に向いました。

            by merry

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| 静岡 | 14:20 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
北条氏の菩提寺・早雲寺
  

箱根湯本駅で降りると、駅前には賑やかなお店が立ち並び、観光客であふれています。

そのメインストリートを通り抜けて湯本橋を渡り、急な坂道を歩くと早雲寺があります。

 

天正1845日、秀吉は箱根山を越え早雲寺に入り、ここを本陣としました。

しかし6月下旬石垣山一夜城が完成すると寺に火を放ち、関東屈指の禅刹として威容を誇った早雲寺の伽藍・塔頭寺院をすべて焼亡させてしまいました。

その後、江戸時代の寛永4(1627)頃から、17世菊経宗存らの努力で再興され、寛文12年(1672)には北条氏治によって北条5代の墓も造営されました。

 

早雲寺惣門

扁額「金湯山」は、江戸初期朝鮮使のひとり金義信(雪峰)の筆です。

 

 

中門


 

入ってすぐ右手に鐘楼があります。


 

この梵鐘は、天正18年の小田原攻めの時に、石垣山一夜城で使われたものです。

 


早雲寺に本陣を構えた秀吉は、この大軍を初陣の徳川秀忠に見せてやりたいと言って秀忠を招きました。

そして秀吉は、自分の甲冑を取り出してみずから秀忠に着けさせ「わが武運にあやかり給えと」と言って何度も背中を撫でてやったそうです。
そんな逸話もあったのですね。

本堂


 

本堂裏手には「禅院式庭園」があります。

傾斜面に三尊石を中心に石を立てる室町期の庭だそうです。

 

本堂の左手奥に、北条5代のお墓があります。


右より北条早雲・氏綱・氏康・氏政・氏直


 

さて早雲寺の見学を終わって駅方面へ戻ってきたら、偶然「いい旅夢気分」のロケをされているところに遭遇しました。

見れば、大河ドラマ「功名が辻」の時に秀吉役をされていた「柄本明さん」ではありませんか!

秀吉の史跡を訪ねて、秀吉に出会った気分です。

 

なお後日談ですが、「いい旅夢気分」に通行人として私たちが映っていました()

                    by  merry


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| 神奈川 | 14:31 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP