大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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「江〜姫たちの戦国」トークショー
 

 

5月29日「江〜姫たちの戦国」トークショーに行ってきました。

ゲストは千利休役の石坂浩二さんと、チーフプロデューサーの屋敷陽太郎さん。

前日から期待に胸がワクワクです。

 

会場は大津市にあるピアザホール


 

お江ちゃんが出迎えてくれました。

 

写真を撮れるのはここまで。

 

千利休役で落ち着いた演技を見せてくれる石坂浩二さん。

なんと今年70歳になられるそうです。

慶応ボーイの大学時代にデビューされたので、約50年の俳優生活という事になるのでしょうか。

渋い演技が似合うはずです。

 

もうひとり、チーフプロデューサーの屋敷陽太郎さん。

いつもスタッフの名前の最後にデ〜ンと「屋敷陽太郎」と書かれているので、すごい貫禄のある人かと思っていました。

しかし意外にもスマートで、控えめな話し方をされる人でした。

 

屋敷さんの話によると、石坂さんはいつもムードメーカーで周りを和ませてくれる人だそうです。

本番2秒前まで雑談をしていて、2・1・スタートのカウントの間で、サッと役の顔になるとか。面白いですね。

 

また利休役の石坂さんは、お茶をたてながらセリフを言うことが多いので、そのタイミングをいつも計算していたとおっしゃっていました。

時にはリハーサルと本番のタイミングが違ってくることもあり、困ったとか。

 

他にも、ドラマ制作の面白い裏話を伺ったのですが、それはにしておきます。

1時間半のトークショーでしたが、とても面白くて、「江〜姫たちの戦国」が身近に感じられました。

               by merry

 

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| イベント | 15:47 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
北野大茶湯
  

天正15(1587)101日、秀吉は九州平定と聚楽第の完成を祝って、京都の北野天満宮で大規模な茶会を開催しました。

これまでにも天皇に茶を献じる「禁中茶会」や、大阪城で大名を集めた「関白茶会」などが開催されましたが、今回の茶会はそれとは違い、対象は「庶民」でした。

 

京都や堺、奈良には高札が掲げられ、そこには

・茶の湯の志さえあれば、身分を問わず誰でも参加できる

・秀吉の名物茶器を残さず見せる

・秀吉手ずから茶を点てよう

という趣旨が記されていたそうです。

  

北野天満宮には、そのゆかりの太閤井戸が残っています。


 

近くに建っている石碑。


 

楼門の手前、右側にあります。


当日、秀吉は北野天満宮の拝殿に黄金の茶室を持ち込み、左右には自慢の茶道具をずらりと並べたそうです。

秀吉らしい演出ですね(笑)


                 by merry

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| 京都 | 16:38 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
聚楽第跡地を歩く
  

天正14年(1586)、秀吉は平安宮(大内裏)跡地に聚楽第の築城を開始しました。

そして翌年には、北政所や大政所らとともに大阪城から移り住み、ここで政務を執りました。

まわりには大規模な堀と石垣をめぐらし、金箔瓦で飾られた天守や櫓がそびえる豪華絢爛な城郭であったと云われています。

その広さは、現在の二条城よりも広かったそうです。

 

その後、秀吉の後継者・秀次の城となりましたが、秀次の失脚後は徹底的に破却されたため、残念ながら現在跡地には当時をしのぶ建物は残っていません。

ただ、いくつかの石碑があるようなので、在りし日の聚楽第をしのびながら、石碑めぐりをしてみました。

 

まずは中立売通大宮(ハローワーク西陣前)にある「聚楽第址」の石碑です。

このあたりには、本丸東掘があったとされています。



平成4(1992)にハローワーク西陣の建て替え工事があったそうですが、その時に地中の中から金箔が付着した瓦約600点が出土したそうです。

太閤ゆかりのデザイン瓦であったので、聚楽第の屋敷に使用されたものと考えられ、国の重要文化財に指定されました。(wikipediaより引用)

 

中立売通をまっすぐ歩くと、中立売通裏門(正親小学校の前)にも「聚楽第址」の石碑があります。

さきほどのハローワーク西陣前から300m弱ぐらいでしょうか。この距離が聚楽第本丸の東西の長さに相当します。


 

次に、南に下がって500mほど歩くと、智恵光院通出水にある松林寺の前に「聚楽第南外堀跡」の石碑があります。




 

このお寺の門から境内を見ると、かなり下がっているのが分かります。

これは、堀のあった場所にお寺が建てられたため、このような段差になったそうです。

 

これら3つの石碑は、聚楽第の広さを示すおおよそのポイントですが、この外側にはさらに広大な範囲にわたって大名屋敷が広がっていたそうです。

 

それについては、また後日記事にしますね。

              by merry


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| 京都 | 15:16 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
西本願寺・飛雲閣
 

金閣寺・銀閣寺とともに、京都三名閣に数えられる西本願寺の「飛雲閣」

いちど見学したいと思いながらもなかなか機会がなかったのですが、先週、思いきって電話予約を入れ、524日に行ってきました。


飛雲閣といえば、秀吉が建てた豪華絢爛の聚楽第を移築したものと伝わります。

三層からなる楼閣建築で、第一層が入母屋と唐破風を配しているように左右非対照になり、不規則ながら巧みに調和されています。
前庭には池があり、当時は橋もなく、舟で出入りしたそうです。

 

ただし残念ながら写真撮影はできません。
見学終了後、塀の外からチラッと見える飛雲閣を撮ってきました。
 

塀越しに見る飛雲閣
二層と三層が見えていますが、この二層部分の下には三十六歌仙の紀貫之、小野小町などが描かれています。
もう少し私の背が高ければ、写せたでしょうに・・(涙)


 

極彩色の鐘楼・・これは聚楽第とは関係ありませんが・・


西本願寺境内にあったマップ。飛雲閣は東南の隅にあります。

 

ただし、昭和42年の調査によると、飛雲閣には移築の痕跡が見られなかったそうなので、もしかしたら聚楽第の遺構ではないかも知れないというお話でした。

ちょっとガッカリ・・


 

この後、西本願寺の書院の方も案内して頂き、鴻の間・雁の間・菊の間そして白書院、能舞台など・・これ全部国宝なのです・・見学させていただきました。

 

所要時間は約1時間。

大変見ごたえのある西本願寺でした。


                           by merry


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| 京都 | 12:21 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
出世稲荷社
  京都二条城の西側にあります。
出世稲荷神社

出世稲荷本殿合成

関白太政大臣の座に就いた秀吉は、1587(天正15)年、聚楽第の造営の際に稲荷社を勧請。翌年には時の帝・御陽成天皇が聚楽第に行幸し、盛大な催しが営まれた。このとき稲荷社に参拝した天皇は、この神社に「出世」の名前をつけたと言われています。
聚楽第が取り壊されたため、1662(寛文3)年に現在の地に移されました。

開運出生・衣食住・地位名望・衆人愛敬・農工商その他一切の生業に大繁栄・延命長寿と病気平癒・千客万来・武運長久・善知識・金銀財宝と、何と10種類もの福が授かるという。秀吉にあやかりたいと今も多数の参拝者が訪れます。

なんにでも効能のある薬みたいです。
金銀財宝に恵まれていませんが、とりあえず衣食住に
ありついているのは、ここにお参りしたからでしょう。


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| 京都 | 02:21 | comments(5) | - |- pookmark↑PAGE TOP
聚楽第の史跡
 
聚楽第の外郭はほぼ元誓願寺通,堀川通,押小路通,千本通に囲まれる辺りにあったようです。
関白職と聚楽第を秀次に譲った秀吉でしたが、秀次との関係か悪化し、秀次を高野山に追放し、聚楽第を徹底的に破壊しました。建造物は他に移築されてしまっているのではっきりしたことはわかりません。数少ない遺跡から想像される地図です。

今回は、聚楽第内にあった数少ない史跡を紹介します。

 聚楽第跡地地図(上京区堀川下立売北西周辺)
聚楽第地図



ねねの居間があった場所
(高台院町の町名があります)
ねね居宅380


梅雨の井
梅雨の井

梅雨の井説明板
梅雨の井380


鵲(かささぎ)橋の石碑
聚楽第の堀にかかっていた橋
鵲橋碑

鵲橋石碑のある松永神社
鵲橋の碑


聚楽第のあった近辺を表示される場合は
こちらをクリックしてください。


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| 京都 | 02:41 | comments(3) | - |- pookmark↑PAGE TOP
聚楽第
JUGEMテーマ:江〜姫たちの戦国〜NHK大河ドラマ

第19回(5月22日)の大河の紀行は聚楽第でした。
そこで、その聚楽第を紹介します。

 聚楽第は1587(天正15)年に完成し、関白秀吉の邸宅であり政務所であった。

秀吉画


聚楽第絵

上の画像は聚楽第を表したものですが、
天守閣は無かったと言われています。


正親(せいしん)小学校の一画にその石碑があります。
聚楽第石碑

聚楽第地図

場所は
 こちらをクリックしてください。 
(二条城北、御所西のハローワークと
正親小学校の間くらいにありました。)

1591年に関白職と聚楽第を甥の秀次に譲り、自分の居所として伏見城の築城を始める。
1595年、秀次との関係が悪化して、秀次を高野山に追放し、その後、切腹を命じる。そして、聚楽第を徹底的に取り壊した。竣工後、8年後のことであった。しかし、聚楽第の建造物の多くは伏見城や他のお寺などに移築されたようです。

出世稲荷については、後日紹介します。

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| 京都 | 00:03 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
三人の秀勝
  

もう一人の「秀勝」とは・・

実は、秀吉が長浜城主であった時代、「石松丸」という実子がいたという話があります。

母親は秀吉の側室「南殿」ではないかとされていますが、詳しいことは分からないそうです。

「石松丸」は「羽柴秀勝」と名乗ったのですが、不幸にも幼少で病死しました。

子どもに恵まれない秀吉にとってそれがどれだけ残念であったか、想像するに余りあります。

ゆえに、その後、養子にもらった信長の四男「於次丸」に「秀勝」を名乗らせ、「於次秀勝」亡き後、姉の二男「小吉」を養子にして再び「秀勝」と名乗らせたのは、早世した実子への愛情の表れかと想像します。

 

5年前、「石松丸秀勝」ゆかりの地を訪ねて長浜へ行ったときの写真です。

妙法寺にある石松丸秀勝の墓

 

平成14年の移転にともない学術調査が行われたところ、塚墓と天目茶碗などが発見されたそうです。

いずれも安土桃山時代の形状であることから、秀吉の長浜城主時代に長男に相当する人物が実在した事が確認されたそうです。

 

妙法寺に伝わる肖像画の写真

石松丸秀勝の肖像画が伝わっていたそうですが、昭和27年の火災で多くの寺宝とともに肖像画も焼けてしまったそうです。

住職さんの許可を得て、写真を撮らせて頂きました。

 

愛らしい男の子ですね。

 

この石松丸が生まれた時、秀吉はよほど嬉しかったのでしょう。長浜の町衆に砂金を与えたと伝わります。

その砂金で曳山を造営し、長浜八幡宮の祭礼で曳いたのが長浜曳山祭りの始まりだそうです。

長浜八幡宮

 

長浜曳山まつりの子供歌舞伎

 

 

また、びわ湖に浮かぶ竹生島の宝物殿には「南殿」と「石松丸」の名前が書かれた奉加帳が展示されています。

ガラスのショーケースに入って展示されていたので、写真には撮らなかったのですが、確かにふたりの名前があるのを確かめました。

竹生島


 

宝厳寺

この向い側に宝物殿があります。


 

他にも、長浜市の徳昌寺に石松丸秀勝の法名「本光院朝覚居士」と書かれた位牌があるとか、知善院には石丸松秀勝の仏供料として伊香郡井之口に30石の寺領が与えられたという伝えがあるとか、石丸松秀勝にまつわる話が残っているようです。

 

秀吉の実子「石松丸秀勝」
      そして養子の「於次秀勝」と「小吉秀勝」

秀吉が「秀勝」という名前にかけた望みもむなしく、三人はいずれも若くして亡くなってしまうのです。

                by merry


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| 滋賀 | 11:55 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
丹波亀山城
  

丹波亀山城といえば、明智光秀の城としてあまりにも有名です。

中国の毛利攻めを命じられた光秀は、一万三千の軍勢を整えて亀山城を出発し、老いの坂を越えて「敵は本能寺にあり」と、いきなり本能寺の信長を攻めました。

 

ところで、秀吉は信長の四男「於次丸」を養子に迎え、「秀勝」と名づけて大切に育てていました。

秀勝は信長の子どもとは思えないような素直な性格だったようで、養父母との仲も円満で、理想的な青年武将として育ちました。

本能寺の変のあと、光秀の遺領であるこの丹波亀山城の城主となり、毛利輝元の娘を迎え、秀吉の庇護のもとに安泰な暮らしをしていました。

ところがわずか18歳で、風邪がもとであっけなく亡くなってしまうのです。

 

秀勝亡きあと、秀吉は姉の「とも」の二男「小吉」を養子に迎え、再び「秀勝」と名づけて亀山城主としました。

これがお江の2度目の夫となる人です。

 

この光秀ゆかりの、そして「ふたりの秀勝」ゆかりの丹波亀山城址に行ってきました。

亀岡駅から徒歩10分。現在は宗教法人の所有となっています。

内堀でしょうか。


亀山城には5つの城門が配置されていて、この辺りには保津門があったそうです。


入口


 

奇麗に整備されています。

城跡を美しく保つため、毎朝信者の方が清掃しているとか・・




 

城跡らしい雰囲気があります。

 

しかしここから先に入るには「お祓い」を受ける必要があるので、後ろ髪をひかれながらもUターンしました。


 

さて秀吉の養子には、信長の四男である「於次秀勝」、秀吉の姉の子どもである「小吉秀勝」と同じ名前の人物がいたため、お江の夫は「於次秀勝」であったとされていた時期もあったそうですが、現在は「小吉秀勝」であることが確定されたそうです。

 

さらにややこしい事には、秀吉の実子とされるもう一人の「秀勝」もいました。

それについては次回の記事にします。

              by merry


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| 京都 | 10:21 | comments(2) | - |- pookmark↑PAGE TOP
浅井三姉妹人気沸騰中
  

今日スーパーで買い物をしていたら、こんな可愛いキャラクター商品を見つけました。

江姫豆腐と、姫うどんです。

 

そうそう、地元のS銀行からもこんな三姉妹グッズをもらいました。

三姉妹の付箋。


 

三姉妹の通帳ケース・・・そんなに預金ありませ〜ん

 

5月6日に、長浜で開催されている三姉妹博覧会の入場者総数が、年間目標の35万人に達したと新聞で報じられていました。

1月からオープンしているので、わずか4か月で目標が達成できたというわけです。

三姉妹人気、すごいですね。

 

そう言えば、最近歴史ツァー旅行のパンフレットもよく目にします。

例えば、「浅井三姉妹の歴史を辿って〜長浜編」とか、「お江ゆかりのミステリーツァー」とか・・

私たちのように歴史散策をするのが、ブームになってきたようです。

歴女・歴男、ぞくぞく登場ですね(笑)

           by merry

 

 

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| 滋賀 | 19:18 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP