津城
大河ドラマでは、本能寺の変の時、お市と三姉妹は伊勢上野城に居住していた事になっていましたが、原作では天正8年(1580)に 織田信包(信長の弟)が伊勢の本拠地として改築中だった津城が完成したので、伊勢上野城から津城に移ったと書かれています。
お江7歳の年でした。
しかしわずか2年後に本能寺の変が起って津城が危険になったため、安全な清州城へ移転しました。
紀行では津城も紹介されていたのですが、ドラマの中では話が複雑になるのでパスされたようです。
でもせっかく遠路はるばる三重県まで足を伸ばして写真を撮ってきたので、津城も紹介させてもらいます(笑)
津城は伊勢平野のほぼ中央に建つ平城で、五層の天守閣があり、当時は多くの町屋や寺院が移築されて城下町が形成されていました。
本丸跡の公園
西ノ丸跡の日本庭園
その後、関ヶ原の戦いの前哨戦で西軍の攻撃を受け落城焼失しましたが、徳川幕府になってから藤堂高虎が城主となり、津城と城下の拡張整備が行なわれました。
藤堂高虎の像
藤堂高虎は近江の出身で、15歳の時に浅井氏に仕え、姉川の合戦で初陣を飾りました。
その後秀吉に仕え、家康に仕え、戦国の世を実力で渡り歩いて32万石の大大名にまで登りつめました。
また晩年の話になりますが、高虎は、幕府と朝廷間の関係が悪化して秀忠とお江の5女和子の入内が頓挫した時、幕府の命を受けて交渉役につきました。
当時宮中では和子入内に反対の公家も多く難航しましたが、「入内できなかった場合には責任をとり御所で切腹する」と言い放ち、強引な手段で押し切ったと云われています。
入徳門
江戸時代にあった藩校・有造館の講堂正門が、移築されたものです。
丑寅櫓
津城本丸の東北隅に位置する櫓で、戌亥櫓とともに城内最大の櫓であったと云われていますが、現在は再建されたものです。
明治維新後、建物すべてが取り壊され、外堀も大半が埋め立てられました。
現在は、本丸と西の丸の石垣と内堀の一部しか残っていません。
近鉄津新町駅から徒歩10分
車の場合、市役所に駐車できます。
by merry
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