白石正一郎邸跡
話はさかのぼりますが・・
龍馬が脱藩して、まず目指したのが下関にある白石正一郎邸と云われています。
白石正一郎は大河ドラマの中では出てこなかったですが、彼は荷受問屋で富を築いた豪商で、尊王攘夷論の熱心な信奉者でもありました。
白石邸はその活動拠点となって、維新の志士たちを物心両面から支援しました。
脱藩した龍馬がここに身を寄せたというのも肯けます。
この記念碑のあたりに白石家の浜門があって海に通じており、志士たちはここから出入りしていたそうです。
龍馬もその中のひとりだったのでしょう。
白石邸跡
文久3年(1863)6月8日、高杉晋作率いる奇兵隊が白石邸で結成され、白石正一郎も結成と同時に入隊しました。
その当時の隊員名簿に、会計方・白石正一郎と書いた史料が残っています。
白石正一郎邸跡は、下関西口から徒歩10分、中国電力前にあります。
また、大歳神社には白石正一郎の銘が残る大鳥居があります。
攘夷必勝を祈念して文久2年(1862)に寄進したものです。
彼の豪商ぶりが偲ばれます。
大歳神社
裏側から見ると
大歳神社は下関駅から徒歩5分くらいの所にあります。
しかし、奇兵隊の財政面を支え続けた結果、港第一と云われた豪商も零落したと云います。
晋作の死後は一切の俗事から離れ、赤間神宮の宮司として生涯を終えました。享年68歳
赤間神宮
バス亭赤間神宮下車すぐの所にあります。
彼の残した日記は、明治維新研究にとって第一級の貴重な資料と云われています。
小倉戦争最中の慶応2年(1866)6月20日、龍馬と高杉晋作がともに訪れた事も記されています。
次は亀山神社です。
by merry
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