福山城博物館
新幹線で福山駅を通る時、いつも思っていました。
綺麗なお城だな〜いつか見に行こうと・・
元和5年(1619)徳川譜代の臣、水野勝成が備後10万石の領主となり、福山城を築きました。
その後水野氏5代、代わって松平氏1代、阿部氏10代と続いた後、明治6年に廃城となりました。
その後、昭和20年の戦災により、天守閣と御湯殿を焼失。
伏見櫓、筋鉄御門だけは焼失を免れ、現在、国の重要文化財となっています。
伏見櫓
筋鉄(すじがね)御門
昭和41年に御湯殿、月見櫓、そして天守閣が復元されました。
御湯殿
月見櫓
天守閣は、福山城博物館となっています。
「幕末の福山藩」をテーマに展示会が開かれていました。
嘉永6年(1853)、アメリカの黒船来航により200年余り続いた鎖国政策から日米和親条約を締結して開国へと日本の歴史を大きく動かしたのが、老中の福山藩主・阿部正弘です。
ペリー来航絵図や、阿部正弘の肖像画など多くのものが展示されていました。
その中で、さきほど「いろは丸展示館」で探していた「靴底」が展示されていました。
「靴底」は、潜水調査で引き揚げられたいろは丸の遺物で、龍馬が履いていたブーツの靴底ではないかと云われているものです。
長さ30cmと説明板に書いていましたが、かなり大きな靴ですね。
大きな靴という事は、当時にしては背が高かった龍馬のものの可能性が大ですね。
もっともこの時代は、足に合う靴ではなくて、靴に合わせて履いていた時代だったから、龍馬の靴かもしれないし、他の海援隊士の靴かもしれないし、運んでいた商品かもしれません。
考えると楽しいですね。
それと、大理石製のドアノブも展示されていました。
写真に撮れないのが残念です。
エレベーターがないので、5階の展望室まで歩きます。
結構きつい・・
でも、素晴らしい景色が待っていました。
夜はライトアップされるとか・・
帰りの新幹線のホームでライトアップされるのを待っていましたが、残念ながら日没になりませんでした。
でも、福山城の全景が撮れたので満足です。
これで、鞆の浦関連の記事は終わります。
by merry
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