大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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土佐藩邸跡
 

 

京都木屋町通りに、土佐藩邸跡の碑があります。

土佐藩邸が京都に置かれたのは江戸時代の初期でしたが、歴史的に脚光を浴びるのは幕末の頃で、土佐藩の志士達が京都で活躍する拠点となりました。


当時は高瀬川に面して門が開かれ、川には土佐橋が架かっていたそうです。

また高瀬川に沿って、彦根藩や対馬藩、加賀藩、長州藩など、沢山の藩邸が並んでいました。

 

 

 当時、この藩邸の中に、鎮守社として土佐稲荷が祀られていました。

「お稲荷さん」の愛称で親しまれ、土佐藩士のみならず、先斗町・木屋町など周辺の町衆からも信仰を集めたそうです。

そこで、わざわざ藩邸内に、一般人が自由にお参りするための通路を確保したと伝わります。

しかし明治維新後藩邸は売却され、土佐稲荷は紆余曲折を経て、現在の蛸薬師通りに移転しました。


 

龍馬の銅像もありました。

 


 
                   By merry

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| 京都 | 15:29 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
薩長同盟
 

さて、しばし京都に舞台を移しましょう。

 

慶応2年1月、西郷隆盛と桂小五郎が京都で会見し、薩長同盟が結ばれました。

その場所は、薩摩藩家老・小松帯刀の京屋敷であったと云われています。

しかし、その小松の京屋敷が何処にあったのかが、まだはっきり分からないそうです。

「御花畑」のある近衛家を寓居としたとされているので、数箇所ある近衛家のなかでも、堀川の近衛邸ではないかと云われています。

 

その近衛堀川屋敷跡地に「小松帯刀寓居参考地」の石碑があります。

二本松の薩摩藩邸から西に300m.ほどの所です。


 

一条戻り橋を渡って、すぐ左側です。

 





この場所は、平安のその昔には藤原道綱の屋敷であり、またのち源頼光が住み、時には応仁の乱の合戦地でもあり、江戸時代には筑前福岡黒田邸であったという。

ひとつの石碑に、これだけ多くの歴史が刻まれているのは、やはり京都ならでは・・ですね。


                    by merry



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| 京都 | 14:56 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
後藤象二郎邸跡
  

小曽根邸から歩いて5分くらいのところに、後藤象二郎がかつて住んでいた邸跡があります。
彼は、土佐藩の武器や軍艦を買い付けるため、この長崎に来ていました。

土佐勤皇党への弾圧に関わり、大河ドラマの中ではずいぶん悪役イメージの後藤象二郎ですが、慶応3年、長崎の「清風亭」で龍馬と会談して意気投合すると、龍馬の策にそって、積極的に土佐藩を倒幕派に導きました。

また、脱藩の罪に問われていた龍馬が特赦されたのも、彼の働きと云われています。



 

土佐では敵対していても、長崎では良き同志となれる・・

これは、土地柄だけでなく、このわずかな間に、時代背景が大きく変遷していたからでしょうね。

さて、次はグラバー園に行きたかったのですが、残念ながらタイムアウト。

グラバー園にはこれまでに2回行っているので、その時の写真を探すことにして、今回はここで長崎の旅を終了とします。

 

最後に長崎電鉄に乗って長崎駅まで行こうとしたら・・
満員で乗れない

飛行機の時間が迫っているので困っていたら、横にいた人がそっと教えてくれました。

「長崎駅なら、そこに見えてますよ」

       

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| 長崎 | 20:14 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
小曽根邸跡
  

小曽根家は、幕末から明治の長崎を代表する豪商です。

13代目乾堂は、浪の平海岸一帯の埋め立て工事を行い、港湾を整備し貿易の推進に尽くしました。
今でも「小曽根」の地名が残っているそうです。
また、勝海舟と親交があり、その縁で坂本龍馬が組織した亀山社中や海援隊を全面的に援助しました。



 

お龍さんもまた、当時大流行した月琴を、本場長崎で学びたいと、小曽根家の世話になりました。

小曽根家は、乾堂をはじめ、月琴の名手揃いでした。
今も小曽根家に、その月琴が伝わっていて、先日京都での展示会「龍馬伝」にも出品されていました。


 

また近藤長次郎は、イギリス密航計画が露見したため、この小曽根家の梅の間で切腹しました。
後のお龍さんの談話によると、それを知らされた龍馬は「おれがいたら殺しはせぬのじゃった」と、語ったそうです。
(「長崎さるく英雄編」「長崎旅本」より一部引用)

小曽根家とは、明暗いろいろ関わりが深かったのですね。

 

次は、後藤象二郎邸跡です。

 

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| 長崎 | 16:28 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
長崎海軍伝習所跡
  

土佐商会から海軍伝習所跡へ向かって、歩いている途中に、こんな通りがありました。

 

長崎らしい名前ですね。

 

さて、長崎海軍伝習所跡です。

ペリー来航で海軍の必要性を知った幕府がオランダの協力を得て実現した海軍教育の学校です。

勝海舟はここに入門し、万延元年(1860)日米修好通商条約を批准する使節団に従い、咸臨丸に乗って太平洋を横断しました。

 

海軍伝習所は、長崎奉行所西役所の中にありました。

現在は、長崎県庁になっています。

 

次は、小曽根邸です

 

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| 長崎 | 15:30 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
土佐商会跡
 

 

再び長崎電鉄に乗り、西浜町で降りたら、目の前に「土佐商会跡」の碑がありました。




 


土佐商会とは、土佐藩の軍事力強化を目的とした貿易拠点です。

最初は後藤象二郎が、後には岩崎弥太郎が主任となり、辣腕をふるいました。

外国から大砲や弾薬、さらには艦船等を調達するため、土佐の特産品である樟脳や鰹節などを売却してその資金とし、また一方、龍馬率いる海援隊にも、隊員それぞれ月5両という莫大な資金援助をして、藩の海軍力強化を図りました。
           
(案内板より抜粋)

その後、岩崎弥太郎は経営者として一本立ちして、三菱財閥を築きます。

岩崎弥太郎って、頭がよくて、努力家の上、運もよかったのでしょうね。

 

また近くに「銕橋(くろがねばし)」の石柱が保存されています。

日本最初の鉄の橋として、明治元年(1868)に架けられたそうです。龍馬が死んだ翌年の事ですね。

 

 

次は、長崎海軍伝習所跡です。

 

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| 長崎 | 14:18 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風頭公園
  

禅林寺の横から、風頭公園まで、龍馬ゆかりの観光スポットが点在する石畳の道全体を「龍馬通り」と呼ぶそうです。

途中こんな案内もありました。


 

若宮稲荷神社から歩いて10分くらい。風頭公園に到着です。

長崎市内を見下ろす展望台に、立派な龍馬像があります。

 

腕を組んで、長崎の街をじっと見続ける龍馬。

その顔には自信があふれているように見えます。
なかなか男前ですね

彼の人生の中で、一番実力を発揮できた場所。

それが長崎だったのではないでしょうか。

 

さて、ここから山を下り、近藤長次郎のお墓がある「皓臺寺」に行く予定をしていたのですが、どこをどう間違えたのか、それらしき道が見つからず、迷い迷って、結局もと来た道を戻ることになりました。

無念のうちに切腹した近藤長次郎が哀れで、お墓参りをしたかったのに、残念・・

 

次は、土佐商会です。

 

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| 長崎 | 15:54 | comments(7) | - |- pookmark↑PAGE TOP
若宮稲荷神社
  

亀山社中から細い道をくねくねと歩くと、赤い鳥居があざやかな若宮稲荷神社に着きます。

ここには、楠木正成の守護神「若宮稲荷五社大明神」が祀ってあります。

正成といえば、勤皇派の志士にとってカリスマ。

亀山社中からも近く、龍馬をはじめ、亀山社中の志士たちがよく参拝したといわれています。

地元では「勤皇神社」とも呼ばれていたそうです。

               (長崎旅本より引用)

 

龍馬も正成を崇拝していたらしく、今も残る写真の脇差は、正成所持の刀を模して作らせたといわれています。



境内には、高さ1mくらいの小さな龍馬の銅像があります。

これは、風頭公園の坂本龍馬像の原型として作られたものです。
亀山社中跡の庭にありましたが、昨年(
2009)年7月、ここへ移設されました。



 

次は、その大きな像がある風頭公園です。


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| 長崎 | 14:53 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
龍馬のぶーつ像
  

日本で最初にブーツをはいたといわれる坂本龍馬。

その龍馬を象徴するブーツと船の舵の像が、長崎市を見渡す高台にあります。

このねこちゃんは、像ではありません(笑)

 



亀山社中のすぐ近くにあります。

龍馬もおそらくこの地に立って、長崎の街を見渡した事でしょう・・

 

次は、若宮稲荷神社です。

 

                   By merry


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| 長崎 | 14:00 | comments(3) | - |- pookmark↑PAGE TOP