龍馬ゆかりの地を巡って九州の旅のレポートをしていたのですが、先日の大河ドラマで池田屋騒動や神戸海軍操練所の話題などが出ていたので、ちょっと中断して、ドラマに沿った記事をアップします。
池田屋騒動といえば、新選組を一躍有名にした華々しい事件ですが、龍馬の側から見れば、それはちょっと違います。
池田屋騒動跡の碑。
京都三条大橋と河原町三条の中間にあります。
数年前に訪れた時は旅行社でしたが、今は「池田屋」という名前の飲食店になっています。
元治元年(1864)6月5日、祇園祭の宵々山で賑わう京の町。
夜の10時頃、ここ池田屋で長州藩を中心とする過激尊王志士達が密会していました。
その中に、神戸海軍操練所で坂本龍馬とともに航海術を学んでいた同志・望月亀弥太もいたのです。
彼は土佐勤王党として藩主に従って上洛し、藩命を受けて幕臣・勝海舟の下で航海術を学び、その後坂本龍馬の紹介で神戸海軍操練所へ入所しました。
しかし元治元年、藩より帰国命令が出されたため脱藩し、長州藩の志士達と交流を続けていたのです。
池田屋で新選組に急襲された望月は、その場を脱出したものの幕府方兵によって取り囲まれ、深手を負います。
かろうじて長州藩邸にたどり着いたものの、中に入る事を許されずに門前で自刀しました。
享年27才。(Wikipediaより引用)
当時、長州藩邸は河原町御池にありました。
京都ホテルオークラの中に、藩邸跡の碑があります。
三条から御池まで命からがら逃げのびて、そして門を固く閉められた、その悔しさ、無念さを思いやると、本当に切ないですね。
龍馬と同志であり幼馴染でもあった望月亀弥太・・・
龍馬も大いに悲しんだ事でしょう。
By merry
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