佐和山城といえば石田三成ゆかりの城ですが、実は歴史が古く、鎌倉時代初期に佐々木氏が佐和山の麓に館を構えたのが始まりと云われているそうです。
その後近江の要衝を守る城として重視され、秀吉の時代に石田三成が入城しました。
佐和山城本丸跡です。
城は五層の天守であったと云われていますが、実のところはどうであったのか分からないそうです。
本丸の東南の方に井戸跡が残っています。
千貫目のお金にも値する、貴重な飲み水であったので、千貫井戸と呼ばれたそうです。
千貫井戸跡
関ヶ原合戦の2日後、小早川秀秋らに包囲され、留守居を守る三成の父・兄らが孤軍奮闘しました。
しかし煙硝櫓に火がかけられ、本丸もろとも炎上。
籠城していた多くの女中たちが亡くなったと云われています。
女郎谷
この辺りは火の海だったのでしょうね。
関ヶ原合戦の後、井伊直政が藩主となってこの佐和山城に入りましたが、その3年後、城は移転して彦根城へと移ります。
そして佐和山城は、徹底的に破壊されました。
本丸の石垣は、これしか残ってないそうです。
善政をしいて、領民に慕われたという三成。
ゆえに、跡形もなく、破壊されたそうです。
かれこれ3時間くらい歩いたでしょうか。
再びかもう坂通り往還を歩いて山を越え、龍潭寺方面に抜けました。
城の裏側に出てきた訳です。
ここで解散になったので、私はJR彦根駅まで歩いて帰りました。
今回の佐和山城ウォークは、城郭を調査されている専門の先生が説明してくださったので、大変勉強になりました。
またこんな企画があれば、出かけてみたいと思います。
by merry
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