一方、この家康軍を迎え撃つため、上杉軍が陣を敷いたのが白河の南にある革籠原です。
兼続は、三方を山に囲まれた袋小路の地形を生かし、家康軍を誘い込んで一網打尽にする作戦をたてました。
しかし家康は小山まで進軍するものの、三成挙兵の報を聞き、すぐに軍を西に返してしまいます。
これぞ好機とばかり、兼続は追撃して、東西挟み撃ちにしようとしましたが、主、上杉景勝はそれを許しません。
「背後から追い討ちをかける事は上杉の義ではない」と。
歴史に「もし・・」はありえないけれど、でもやっぱり考えてしまいます。
もし東西挟み撃ちにしたら、家康は亡き者になっていたのでしょうか。
江戸時代は、なかったのでしょうか。
そしたら、篤姫も存在しなかったのですね(笑)
さて、その白河決戦の前線基地としたのが白河小峰城です。
この城も戊辰戦争で焼失しましたが、平成3年に復元されました。
東北三名城の一つと呼ばれているそうです。
By merry
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