篤姫は、いよいよ島津本家の養女になりましたね。
これから本家の姫として、どんな生活が待っているのでしょう。
さて、養父となる28代藩主島津斉彬は、強く豊かな日本を夢見て、集成館事業というひじょうにスケールの大きな近代化産業を推進した人です。
集成館事業は、鹿児島の磯地区に築かれた工場群「集成館」を中核に、製鉄・造船・紡績・ガラス製造などさまざまな分野にわたっていたそうです。
なかなか頭脳明晰な人だったんでしょう。
しかし藩主就任からわずか7年余りで急死したため完成を見ることはなく、斉彬の夢は弟の久光や29代藩主忠義に受け継がれていきました。
仙巌園に隣接した所に、集成館事業の史跡が残されています。
尚古集成館本館
慶応元年1865年(斉彬の死後7年)に竣工された集成館機械工場で、当時は「ストーン・ホーム」と呼ばれていたという。
斉彬が興した集成館事業の中でも、造砲事業は中心的な事業のひとつであった。
日本初の溶鉱炉を建設したり、反射炉を造ったりして、大量の銃や大砲を造らせて軍備の強化を図っている。
集成館事業で造られた大砲(模型)
今改めてパンフレットを見ると、この大砲のすぐ後ろに反射炉跡があったのですが、それに気付かず素通りしてしまったようです。
そして私は、こんなのんびりとした写真を撮ってました。
桜島大根
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