大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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風林火山ゆかりの地・旅の終わりに
今回の旅は、長野市にある川中島を皮切りに、千曲市・坂城町・上田市と回りました。
あとで気がついたのですが、それは千曲川に沿ってドライブしていたのでした。
千曲川の悠久の流れを見ていると、信玄だ、謙信だと言っても、ほんの一瞬の煌めきのようなもので、人の人生なんて短いものだなとしみじみ思いました。

レンタカーを返した後、長野駅でおみやげを探しました。
見つけました!かわいい勘助ちゃんの「小まんじゅう」
写真には3つしか写ってませんが、10ヶ買いました。買占めです(笑)
おみやげ

旅の計画をたてるにあたって、「ながの観光コンベンションビューロー」さんから、たくさんのパンフレットを送っていただきました。
よれよれになるまで、何度も繰り返し読み、計画をたてるのに大変役立ちました。
ありがとうございました。
「ながの観光コンベンションビューロー」さんへリンク
パンフレット

今年のmerryの記事はこれで終わりますが、このあとラメールさんが記事をつないで下さいますので、引き続きご覧ください。
ありがとうございました。




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| 長野 | 09:16 | comments(15) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・信玄かま風呂
武田軍の強さの秘訣は、傷ついた兵士を温泉で湯治治療したと云われている事から、山梨県や長野県には数多くの「信玄の隠し湯」とよばれる温泉がある。
渋温泉にも、川中島の戦いで傷ついた将兵を癒したとされる「信玄かま風呂」があるというので、寄ってみた。

しかし、渋温泉は道が狭い。
大きな駐車場があったので、入ってみたら駐車料金800円・・・Uターンして脱出。
で、車を停車させて、大急ぎで入口だけの写真を撮りました(汗)

信玄かま風呂
信玄かま風呂1

信玄かま風呂2

この信玄かま風呂の前に、信玄が70貫文を寄進し、温泉の発展を奨励したと云う「温泉寺」があります。
このお寺の寺紋は武田菱だそうです。
写真を撮るつもりだったのですが、大慌てしていたのですっかり忘れてしまいました(涙)





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| 長野 | 11:57 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・生島足島神社
上田市にある生島足島神社に、信玄が川中島の戦いの必勝を祈願した願状や、配下武将を集めて忠誠を誓わせた起請文などがあるというので、足を伸ばしてみた。

生島足島神社
この長い名前は何て読むのかと思ったが、「いくしまたるしまじんじゃ」と読むらしい。
人と大地に生命力を与える「生島大社」と、人の願いを満足に与える「足島神社」の二神をまつり、霊験あらたかとか。

絵になる神社です。
生島足島神社1
生島足島神社2

境内の一角にその展示場がありました。
「武田信玄武将の起請文」は展示してありましたが、「信玄の必勝祈願の願文」は展示されてませんでした。
写真撮影禁止だったので、詳しくはこちら
起請文展示場

武田信玄配下の武将といえば、大河ドラマで見る顔ぶれを想像していたのですが、中に入ってビックリ!
こんなに沢山の武将が起請文を書いたのですか・・
歴史の表舞台に出ない人たちが大勢いた事を、改めて痛感しました。





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| 長野 | 08:54 | comments(14) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・真田幸隆公墓所
武田の知将と呼ばれた真田幸隆は、信玄に高く評価され、武田家臣の中でも一目置かれていたと云われている。
戦国時代を生きぬくこうした才覚は三男昌幸にも受け継がれ、やがて名門真田一族へとなっていく。
上田市真田町には、真田幸隆夫妻と昌幸の墓がある。

長谷寺(ちょうこくじ)
長谷寺

きれいに手入れされたお庭をぐるっと回って、本堂の裏のほうへ行きます。
庭の案内版

左から、幸隆公夫人、幸隆公、昌幸公
真田昌幸は関ヶ原の戦いで西軍に与したため高野山九度山に配流されて亡くなっているが、ここにもお墓があります。
真田幸隆の墓

鬱蒼と繁った木の陰にあり、昼間でもちょっと薄暗いお墓でした・・。




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| 長野 | 08:21 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・上田原の戦い
R18号を進んでいくと、坂城町から上田市に入る。
葛尾城主・村上義清は、北信濃へ軍を進める武田軍を二度にわたって撃退したが、そのひとつがここ上田原であった。
なるほどこの場所に来ると、武田軍が義清の領地に入る前に、ここで迎え撃ったというのがわかる。
この戦いで武田方は板垣信方などの名将を失い、大きな痛手を受けた。

板垣神社
この奥に、板垣信方のお墓があります。
板垣神社

板垣信方の墓
板垣信方は愛煙家だったそうで、今でも墓前に煙草をお供えする人が絶えないとか・・
板垣信方の墓

村上軍・雨宮刑部の墓
わかりやすいように「村上軍」の旗が立っているのが嬉しいですね。
雨宮刑部の墓1

雨宮刑部の墓2

無名戦士の墓
まわりの景色と相まって、なんか侘しい・・
無名戦士の墓

このあたりは今、野球場や運動公園になっていて、平和でのどかな風景が見られる。
いい時代に生まれたものだな〜・・とつくづく思いながら、古戦場を後にしました。



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| 長野 | 10:24 | comments(6) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・村上義清公墓所
千曲市と上田市の間に、坂城町という所がある。
戦国時代、ここを拠点に信濃の各地を支配下に治めていたのが村上義清であった。
勇猛果敢な義清は、二度にわたって信玄を撃退したが結局敗れ、上杉謙信を頼って越後へ落ち延びるのであった。

村上義清の居城「葛尾城」があった葛尾山頂
麓の坂城神社からトレッキングコースがあるそうですが、ちょっと時間的に無理なので、遠くから写真を撮るだけにしました。
葛尾城跡

麓に、義清公のお墓があるという情報を得たので、坂城町へ立ち寄ったのですが、なかなか見つからず、坂城町の中を何回も周遊しました(笑)
村上義清公墓

村上義清公墓2

もっとも村上義清は、越後で生涯を閉じたので、お墓は上越市の光源寺にあります。
ここは、江戸時代に代官によって建立されたもので、光源寺より分骨して埋葬したと云われています。




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| 長野 | 11:09 | comments(8) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・荒砥城跡
千曲川と寄り添うようにR18号線を走っていると、戸倉上山田温泉の看板が見えてくる。
温泉街を通り抜けるとその奥に千曲市城山史跡公園があり、公園内の小高い山に荒砥城が再現されている。

荒砥城は、1524年頃に村上氏の一族・山田氏によって築かれた山城で、村上氏の居城・葛尾城の支城的役割を果たしていた。
しかし葛尾城落城とともに一旦は武田の手に落ちたものの、その後も川中島の戦いで激しい争奪戦が繰り返されるという、戦国時代を象徴するような城であった。
そして1584年、上杉軍に攻められて廃城となり、わずか60年の歴史を閉じた。
荒砥城1

荒砥城2

荒砥城3

ここは、「海ノ口城」として、テレビのロケが行われた城である。
初陣の武田晴信と、まだ仕官前の山本勘助が海ノ口城を舞台に、相対するという設定になっている。
そう言えば、海ノ口城での晴信の奇襲作戦・・ありましたね。
そして勘助は晴信の手腕を見て、武田家に仕官を決意するのでした。





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| 長野 | 19:28 | comments(10) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・武水別神社
ここもまた、謙信が必勝祈願をしたと伝わる神社である。
武水別神社

神社内を見渡し、それらしき物を探してみたら、風変わりな石があった。
案内板を読むと・・

献納滝壺の石
木曽義仲が平家軍との合戦に望んで戦勝を祈願した時、祈願文を奉持した使者がこの石に湛えられていた雨水で具足の汚れを洗い清めてから神前に額づいたと伝えられる
源平ゆかりの石

という訳で、これは源平合戦ゆかりの石であった。

で、風林火山ゆかりの物は??
観光パンフレットには「謙信が信玄討伐の加護を祈った願文を奉納したと伝わる神社である」と書いてたんだけど・・

境内はお宮参りで賑わっていて、神主さんも忙しそう。
武水別神社2

あちこち見渡したのですが、ここにはそれらしき物も見当たらず、何か場違いな所に来たような気がして、早々に退散したという次第です。
神主さんに聞けばよかったかな・・・




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| 長野 | 09:25 | comments(10) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・雨宮渡し
妻女山を降りて再びR403を走っていると、国道と千曲川が接する地点があり、千曲川の雄大な流れが見えてくる。
現在の千曲川は、ここからやや北方面に蛇行していくが、謙信が千曲川を渡ったとされる雨宮の渡しはもっと南にある。
長い歴史の中で、千曲川は何度も氾濫を繰り返しながら、だんだんと北のほうへ流れを変えていったのである。
その間の距離は1km近くあるのではないだろうか。

北方面に蛇行している千曲川
千曲川

雨宮の渡しの石碑
雨宮の渡し跡地は、今は水田や住宅地になっていて、当時ここが千曲川だったなんで、全然想像できない。
雨宮の渡

「鞭声粛々夜河を渡る・・・」
江戸時代の儒学者・頼三陽が詠んだ詩のごとく、上杉軍12000の兵は物音もたてずに、ひっそりと雨宮の渡しから千曲川を渡った。
そして霧が晴れたとき、武田本陣の前に迫っていたのである。
ドラマチックですね〜




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| 長野 | 08:04 | comments(10) | - |- pookmark↑PAGE TOP
風林火山ゆかりの地・謙信鞍掛の松
妻女山に本陣をかまえた謙信が、麓の会津比売神社に必勝祈願する時、愛馬の鞍を掛けたと伝わる松の木。
大人が二人で手に抱えるほどの老松であったが、残念ながら寿命で朽ちてしまい、昭和57年にこの跡継ぎの松が植えられたそうである。(川中島の戦い史跡ガイドより引用)

上杉謙信鞍掛後継の松
謙信鞍掛の松2

謙信鞍掛の松1

またこの松のすぐ下に、謙信が槍で突いたら、水が湧き出たという伝説がある清水がある。
Gackt様のようなミステリアスな謙信なら、そんな事もあり得るかも拍手拍手拍手

「上杉謙信槍先之清水」
謙信槍先の清水2

謙信槍先の清水

この場所の上のほうにも「謙信槍尻の泉」があるようですが、こことどう違うのか、いまいちよく分かりませんでした。



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| 長野 | 20:22 | comments(10) | - |- pookmark↑PAGE TOP