JR甲府駅北口からバスに乗り、10分ほどで武田神社に到着。
「躑躅ヶ崎の館」と呼ばれた武田氏三代の館は、一辺が200m.の正方形を主郭とした平城であった。
高い城や石垣を必要とせず、「人は城、人は石垣」と言った信玄の理念が伺われる。
館跡に、信玄公を祭神とした「武田神社」が創建されたのは大正8年の事であった。
神社内にある宝物館では、「山本勘助の遺宝展」が開催されていた。
そこには信玄公筆と伝わる勘助の鐘馗の図(魔よけのため独特な表情をした肖像画)や刀が展示されていた。
また、信玄公の時代から伝わるものなのか、大変古い「孫子の旗」(縦376cm,横83cm)が額に入って展示されていた。
残念ながら写真撮影お断りでした。
神社の境内に「姫の井戸」と呼ばれる井戸があった。
信玄公に姫が誕生した時、産湯に使われた井戸と伝わっているそうである。
神社から駅に向かって「武田通り」とよばれる真っすぐの道がある。
ここは当時から館の南方一帯に格子状に道路が整備されていて、城下町も開けていたという。
また館の周りには家臣の屋敷も多くあり、この写真のあたりには板垣信方や馬場信春の屋敷があったと伝わる。
山本勘助の屋敷は神社の北西にあったと伝わっているので、そこへ足を運んでみることにした。
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