大河ドラマ「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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平家と熊野詣
 

 

平家にとっても熊野の地はゆかりの深い所です。

 

保延3年(1137)平忠盛は熊野本宮を造営し、その功により、清盛が肥後守に任じられました。

清盛20歳の時でした。

 

当時の熊野本宮は、熊野川と支流の音無川・岩田川の合流地の中洲にある大斎原(おおゆのはら)にありました。

熊野の神が降りたとされるその地には、現在は日本最大の大鳥居が建っています。


 

肥後守になってから9年後の久安2(1146)、清盛はさらに安芸守に栄進しました。

 

そのころの逸話が平家物語の巻の一「鱸」の中にあります。

 

昔、清盛がまだ安芸守であった時、伊勢の国安濃の津より船で熊野へ参詣のみちすがら、おおきな鱸が船中におどりこんだ。これを見て導者の山伏が「昔、周の武王の船にも、やはり白魚がおどり入った。いかさまこの瑞祥は、熊野権現のあらたかな御神示、謹んで召し上がれ」と申したので、それまできびしく十戒を守り、精進潔斎をして参詣するみちすがらであったが、みずから料理しておのれも食い、家の子郎党たちにも食わしたのである。そのためか、その後は吉事ばかりがつづき、自身は太政大臣にのし上がり、また子孫たちの官途昇進の次第も、竜の雲に昇るよりさらに早かった。高望王以来、先祖九代の先例を凌駕すること、稀代のためしといってよい。

 

 

 清盛が時子という良き伴侶を得たのが、ちょうどこの頃でした。

また安芸守に任じられたことにより、瀬戸内海の交易で莫大な利益を得て、ますます平家は栄えていきました。

熊野権現のご利益は大きかったようですね。

                 by merry


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| 和歌山 | 14:11 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
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コメント
清盛は出世街道をまっしぐら、平家は隆盛を極めていったのですね。
熊野権現のご利益なのでしょうか。
私も熊野詣に行かなくちゃ!
| しずか | 2012/04/11 10:48 PM |
龍神村から白浜、大地、那智の滝等は行ってますが熊野本宮大社は行ったことが、有りません。湖の熊野本宮大社の宮司様は綾部九鬼藩の末裔で先代及び代々のお墓は綾部の隆興寺(臨済宗)にありま。小生の寺・円照手等5つの寺は親類寺と言われています。
| willy_tsuguo_shikata | 2012/04/12 5:52 AM |
しずかさん。

私は熊野三山のうち、熊野速玉大社には行ってないので、いまだご利益がありません。

出来るだけ早く3つをクリアーして、残りの人生をラッキーなものにしたいと願ってます(笑)
| merry | 2012/04/13 9:38 PM |
四方さん。
意外なところに、熊野本宮大社と綾部市のつながりがあるのですね。

綾部市はいろいろとルーツのある所なのですね。
| merry | 2012/04/13 9:40 PM |
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