大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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松の丸殿ゆかりの誓願寺
 
新京極にある誓願寺は、清少納言、和泉式部、松の丸殿が帰依したことにより、女人往生の寺として名高いお寺です。



飛鳥時代、天智天皇 6年(667)、天皇の勅願により創建されました。
鎌倉時代に奈良から一条小川(現在の上京区元誓願寺通小川西入る)に移転し、天正19年(1591)、秀吉の命により現在の地に移転し、慶長2年(1597)、秀吉の側室・松の丸殿(京極竜子)の援助によって伽藍の再興が完了しました。

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松の丸殿の父は京極高吉、母は浅井久政の娘(京極マリア)。兄(弟という説もある)に京極高次、弟に京極高知。浅井長政は叔父、浅井三姉妹(淀殿・初・江)は従妹にあたります。
初め若狭守護・武田元明に嫁ぎ、2男1女を生み、若狭国大飯井郡の石山城で平穏に暮らしていましたが、元明は本能寺の変後、明智光秀の味方に就き、丹羽長秀・羽柴秀吉の連合軍に討たれました。
竜子は捕らえられた後、秀吉の側室となりました。
絶世の美女といわれた竜子は、秀吉が小田原城や名護屋城にも連れて行くなどり、秀吉のお気に入りの側室であったようです。
醍醐の花見でも3番目の輿を使ったり、淀殿と杯の順番を争ったというエピソードが残されています。松の丸殿は、秀吉公の聚楽第在中、現在の上京区西洞院通一条下る「讃州寺町」にあった屋敷に住んでいました。
秀吉没後は、京極高次の大津城に移り、のち誓願寺に閑居。
元和元年(1615)大阪の陣により、豊臣家が滅亡し、秀頼の子・国松が処刑されると、その亡骸を引き取って誓願寺に埋葬しました。
 寛永11年(1634)死去。70歳を越していたといわれています。
松の丸殿と国松の墓は、もと誓願寺の山内寺院・竹林院にありましたが、明治37年(1904)京都市東山区の豊国廟の境内に移されました。
誓願寺には松の丸殿画像があるそうです。
「神殿風の建物の中央に片膝を立て、右手に数珠を持った法体姿の松の丸殿が描かれ、女性美を表現するのに、本図ではごくごく柔らかい描線が用いられ、背景の豪奢さとは対照的な印象で、 上品でふくよかな美貌の持ち主で、色白の女性であったことがうかがわれます。 秀吉没後、誓願寺に閑居し、その菩提を弔う姿が偲ばれます。」
(誓願寺HPより)
ご本尊の阿弥陀如来座像は木造、寄木造布貼の丈六の座像で平安時代後期の定朝様で鎌倉時代から南北朝時代の頃の作と見られています。



能の曲目に『誓願寺』がありますが、この本山のことを指しています。

扇塚のある寺として芸能関係、また説教から発達した講談、落語、漫才などの芸人の成就を祈願する寺として知られています。

扇塚

扇塚

世阿弥作と伝えられる謡曲『誓願寺』は、和泉式部と一遍上人が主な役となって誓願寺の縁起と霊験を物語ります。この謡曲の中で、和泉式部が歌舞の菩薩となって現れることが、能楽をはじめ舞踊など芸能の世界で尊崇され、江戸時代から誓願寺へ参詣するその筋の人が数多くありました。 特に舞踊家が多く、文化・文政・天保(1804〜44)のころに京都で活躍した篠塚流の祖・篠塚文三郎(梅扇)は、幸若の系を引く能楽的な色彩と歌舞的な色彩を調和させた優れた芸風を示したといわれ、天保年間には山村舞とともに京阪で大いに流行しましたが、彼ら舞踊家の中に誓願寺の和泉式部信仰がありました。その信仰を、昭和・平成の時代まで伝承した舞踊家がありました。 誓願寺の『扇塚』に、芸道上達を祈願し『扇子』を奉納することには、上のような深い歴史的な意味が秘められているのであります。また、誓願寺第五十五世策伝日快上人(1544〜1642)が『醒睡笑』八巻を著作して落語の祖と仰がれておられることも、「扇子」との強い絆を保持するゆえんであります。
(案内板より)
落語発祥の寺とも言われ、関西地方の芸人たちがこの寺で練習会を営んでいるそうです。


by shizuka


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コメント
こちらの記事の方がずっと素晴らしい!
歌手等の芸能人が参る京都の神社は太秦近くの車折神社?多くの芸能人の奉納を見た覚えがあります。
| 四方續夫(しかたつぐお) | 2011/12/19 6:22 AM |
四方さん、コメントありがとうございます。

両方読んでいただき感謝!m(__)m
車折神社は一昨年初めて行きましたが
奉納した芸能人の名前を見るのも
楽しいですね。
| しずか | 2011/12/19 11:50 AM |
しずかさんも誓願寺へ行かれましたか。

松の丸殿も、三姉妹と同じように戦国の荒波に揉まれながら、強く生きた人ですね。

美女だけに、また苦労も多かったようです。

・・でもやっぱり美女が羨ましい・・(笑)
| merry | 2011/12/19 12:20 PM |
meryさん、こんにちは!

松の丸殿の記事は初めて書きました。

ここはちょうど通りかかったので、お参りして来ました。
いつ記事のネタにできるかわからないので
とりあえず通りかかったら撮影するようにしています(笑)
| しずか | 2011/12/19 3:02 PM |
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