大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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常高寺
  

お江が亡くなって7年後の寛永10(1633)、常高院(お初)も京極家の江戸屋敷で死去しました。

享年66歳。三姉妹の中で一番長生きでした。

 

遺骸は木曽路を超えて小浜城に運ばれ、常高寺において葬儀が執り行われました。

城主忠高を始め、家臣もことごとく喪服にて葬列に参加したと云われています。

 

常高寺


 

常高寺は寛永7(1630)、常高院(お初)の発願によって建立されたお寺です。

常高院は「もし将来国替えがあっても常高寺だけはこの若狭の地に留めおいて下さい」と遺言に残しているそうです。よほどこの地がお気に入りだったようですね。

 

常高寺の裏、後瀬山の麓に常高院のお墓があります。

 

常高院のお墓は高さ4m、笏谷石で造られた宝篋印塔です。

前面、側面の三方に十字を浮かした模様が刻まれていて、キリシタンであった事を示しているように思えます。

 

常高院のお墓に向かい合うように、7人の侍女のお墓があります。


 

また周りを多くの尼僧の墓がとり巻いていて、いかに常高院(お初)が慈しみ深く、また多くの人に愛されたかが分かるような気がしました。



 

常高寺には、常高院肖像画や自筆の手紙、そして「かきおきのこと」が展示されていました。

「かきおきのこと」とは、常高院が自分の死後周りの人たちをよろしく頼みたいと、亡くなる一ヶ月前に京極忠高に宛てて書かれた遺言状です。

 

そこ文中に「さくあん事なにの御やうにもたち候ハす候て・・たのみ入申候」

(作庵は何の用にもたたず迷惑な存在であろうが・・自分の死後くれぐれも頼みます)と書かれているのですが・・

ここまで心配する作庵とは・・?

 

次回は、その作庵を辿る記事です。

                      by merry



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| 福井 | 00:00 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
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コメント
ついにお初も亡くなりましたか。
戦国から徳川の安定期まで生き抜いたことに
なりますね。
お江と違って江戸ではなく、遠く離れた小浜の地に
運んで埋葬された。これまた、大変なことですね。

激動の時代の中心を生きてきた3姉妹、
ご苦労様でしたと言いたいです。
| ラメール | 2011/12/11 12:00 PM |
ここは最終回の紀行で紹介されていましたね。
merryさんにお願いしようと思っていました。
大河ブログの最後にもふさわしい記事ですね。
徳川家のと豊臣家の間に入って奔走した初にお疲れ様と言いたいです。
| しずか | 2011/12/12 9:51 AM |
ラメールさん。コメントありがとうございます。

一説に、小浜の海は、お初が生まれた琵琶湖に似ていたから、自分の埋葬地に選んだ・・とか。

それにしても、今と違って交通に時間がかかる時代に、江戸から小浜まで移送するのは大変だったでしょうね。
| merry | 2011/12/12 2:46 PM |
しずかさん。
小浜の記事は、早い時期に載せたのですが、これだけは残しておきました(笑)。
紀行で紹介された後にすぐアップ7したかったのですが、、家事都合によりできませんでした。

お初は、三姉妹の中で真ん中であり、また豊臣と徳川の間挟まれ、いろいろとつらい人生だったでしょうね。
でも静かな晩年を送ったようなので、それだけは救いです。
| merry | 2011/12/12 2:55 PM |
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