大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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久能山東照宮・家康の廟所
 
久能山東照宮へは、静岡駅から日本平行きのバスに乗り終点下車。

そこからロープウェイに乗ります。



 この前の台風で山肌が削られたり、崩れたりしたところがあるそうです。 



海岸の手前に見える白いのは、イチゴのビニールハウスだそう。久能山といえばイチゴが有名ですものね



ガイドさんの説明を聞きながら5分で到着。   







下から徒歩で階段をのぼると、一ノ鳥居からのスタートになります。一ノ鳥居から数えて1159段の段数があるので、「いちいちご苦労さん」と呼ばれています。日本平ロープウェイが開通するまでは、この石段のみが東照宮への参拝路でした。

私はロープウェイを利用したので、楼門から階段を上がって行きます。 



楼門 







後水尾天皇宸筆の「東照大権現」の扁額を掲げていることから、勅額門ともよばれています。 

 

門を入ると、神厩、手水鉢、鼓楼、神楽殿、神庫、日枝神社が立ち並んでいます。

神厩 



家康公の愛馬を飼育するために建てられた厩舎です。愛馬の死後、左甚五郎が愛馬そっくりに彫刻し、この厩舎に納めたと伝えられています。
 
鼓楼 



創建以来、鐘楼として扱われてきましたが、神仏分離の際、鐘楼は仏教施設であるということから中身を太鼓に替え、現在の「鼓楼」となりました。
 
五重塔跡  






 三代将軍家光公の命により建立された五重塔が明治時代まで設置されていました。神仏分離令を受けて取払われ、現在は礎石が残されています。

神楽殿 



 この建物では神楽は行われず、武家奉納の絵馬を掲げたと伝わっています。
 日枝神社  





御祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)です。神仏分離令を受けて仏像を大正寺に遷し、山中にあった山王社の御神体を納めたと伝わっています。


 
一番高い正面に唐門と透塀に囲まれて、拝殿、石の間、本殿が建っています。

唐門









建築様式は、本殿と拝殿との間に石の間がある権現造です。
 
 





















晩年を駿府城で過ごした家康は、1616(元和2)年4月17日に75年の生涯を閉じました。「遺骸は久能山に埋葬すること」という遺言通り遺骸は久能山に遷され、二代将軍・秀忠は、弟の駿河城主・頼宣を総奉行に命じ、中井正清を大工棟梁に、久能山に家康を祀る神社を造営することを命じました。翌5月から霊廟の造営に取り掛かり、1年7ヶ月の期間をかけて建てられました。社殿は当時最高の建築技術・芸術が結集された「権現造」の様式で、日光東照宮を始め、全国に多数造営された東照宮は久能山東照宮が原型とされました。

ここから廟所参道を進みます。



廟門から神廟までの間をつなぐ参道には、家康公に仕えた武将たちが奉納した石灯籠が立ち並んでいます。

神廟



家康の遺骸が埋葬された場所に立つ廟



当初は小さな祠が建てられていましたが、家光によって高さ5.5mまわり8mの石塔が建てられ、家康の遺命に従い、西向きに建てられています。

墓の裏側







さて、家康といえば天海の存在も忘れてはいけません。1608年、駿府城にて天海は家康との初対面を果たすのですが、この時すでに家康65歳、天海72歳という高齢でした。この時、家康は、天海に感銘し「もっと早く天海に会いたかった。」と言ったそうです。以後、家康は、天海をブレーンとして重用しました。 1616年(元和2年)危篤となった家康から、神号や葬儀に関する遺言を託された天海は、家康の死後、神号を巡り金地院崇伝らと争うことになります。天海は「権現」として崇伝は「明神」として祭るべきだと主張しました。天海は、秀忠に「明神」は豊国大明神として秀吉に対して贈られた神号であり、その後の豊臣氏滅亡を考えると不吉であると提言したことで家康の神号は「東照大権現」となり、家康の遺体を久能山から日光山に改葬しました。天海は、徳川将軍三代にわたって参謀を務めあげ、106歳の長寿を全うしました。

「金の成る木」



ある時、家康が「金の成る木とは何ぞや」と諸人たちに質問しところ、誰も答えることができませんでした。そこで自ら筆をとり3本の木の絵を描き、よろづ程のよ木(万事のよき)じひふか木(慈悲深き)しやうぢ木(正直) と書き「これを常々心掛ければ必ず富貴を得られる」と言ったのだそうです。その木のイメージが左側の杉の大樹です。この杉の木は3代将軍家光公の頃に植樹されたもので、樹齢350年を経ています。



私とほぼ同じ身長だったということにびっくり!

手を合わせてみたら、私の手より少し大きいぐらいでした。 by shizuka


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| 静岡 | 19:46 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
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コメント
家康を祀った場所だけに豪華絢爛と言っていいくらい華やかですね。
東照宮は、どちらも雰囲気は同じです。
華やかな色はこちらの方が残っています。
静岡県人としては自慢なんでしょうね。
| ラメール | 2011/11/21 1:25 AM |
ラメールさん、こんばんは!

日光と久能山の東照宮を見比べましたが
色が鮮やかな方が豪華に見えますね。
両方見比べることができて良かったです。
| しずか | 2011/11/21 7:59 PM |
家康公の身長は、この時代の男性の平均身長ですね。

体重は60圈
もっと太っていたイメージがありますが・・
| merry | 2011/12/06 8:30 PM |
merryさん、現代人からすると、家康は小太りだったのでしょうね。(笑)
向井秀忠とは大違い!(笑)
| しずか | 2011/12/07 12:28 AM |
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