大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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可児市の明智城跡(1)大手門

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

名鉄広見線明智駅から早歩きで約20分で明智城大手口に到着。

IMG_1407 明智城

土岐明智氏の出自の地であり、明智光秀を生んだ地との伝承を持つ明智城は、別名長山城または明智長山城とも呼ばれています。

この辺りには、石清水八幡宮(京都府八幡市)の荘園・明智荘が置かれ、『美濃国諸旧記』によると、康永元年(1342)3月、美濃国可児郡明智庄長山に、美濃守護・土岐頼康の弟・土岐明智次郎長山下野守頼兼(しもつけのかみよりかね)がこの地に城を築き、弘治2年(1556)に光秀の叔父光安・光久が城主の時、稲葉山城主・斎藤義龍の攻撃を受けて落城したとしています。

光秀の代まで居城したとあり、光秀出生の地とされていますが、明智城は、恵那市明智町城山にもあり、どちらが明智光秀出生の城なのか、それを裏付ける資料は今のところないそうです。

明智城址公園散策路マップ
IMG_1412 明智城

ここから桔梗坂と呼ばれる上り坂を上がっていきます。

IMG_1408 明智城

IMG_1409 明智城

 可児市は、戦国時代の悲運の武将「明智光秀」の生誕の地である。康永元年(1345年)に美濃源氏、土岐市下野守頼兼が名字を「明智」と改めて初代明智家棟梁となり、明智荘瀬田の当地に明智城を築城した。
 以来、およそ215年間、ここに山城を構えていたが、弘治2年(1565年)に当時の美濃国の支配者、斉藤道三とその子義龍の争いに巻き込まれ、義龍に追い込まれて落城。最後の城主であった光秀は、城の脱出に成功して明智家を再興したが、ここへは戻らず、彼の死後も、再びここに築城されることなく明治維新を迎えた。
 城は自然の地形をうまく利用した典型的な中世の山城で、この山の中央主峰、標高175米の頂上に本丸を築き、ここを中心として、いくつかの別の峰に小城塞、見張り台、城郭施設等を配置させてあったと考えられる。
 居館跡には「光秀産湯の井戸」と伝承されている井戸があり、当時使用されていた土器破片が出土している。また、出丸付近には落城の際の戦没者を葬った「七ッ塚」がある。 
 昭和48年には一族の供養等「六親眷属幽魂塔」が発見されている。
   可児市

IMG_1410 明智城

大手門に到着。

大手門
IMG_1411 明智城

誰もいなそうな予感(;・∀・)

 

 

 


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| 岐阜 | 10:14 | comments(2) | - |- pookmark↑PAGE TOP
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コメント
明智城が二つあるのですか。
どちらにしてもこの辺りが明智氏の領土だった
のでしょう。

うっそうとした雰囲気が滅んだ明智氏の
状態を物語っています。
戦国時代、最後に勝ち残ったのは徳川家康。
 
麒麟は、家康だったのでは。
| ラメール | 2020/02/02 10:31 AM |
二つの明智城を訪ねてみましたが、どうやらこちらの可児市の明智長山城が光秀ゆかりの城のようですね。

麒麟が家康では?
面白い予想です。たしかに平和な時代を生み出した方ですものね。
| しずか | 2020/02/03 12:36 PM |
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