大河ドラマ「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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徳川慶喜終焉の地

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

西郷どんの最終回に、久しぶりにヒー様こと徳川慶喜が登場しましたね。

描いていたのは、何と「牛男」の絵という面白い場面でした(^^ゞ

その慶喜の終焉の地を数年前に訪ねました。

晩年の有爵者大礼服を着た慶喜
Yoshinobu_Tokugawa_2.jpg

東京都文京区春日2丁目の、国際仏教学大学院大学の前に、「徳川慶喜終焉の地」の案内板が立っています。

IMG_0303 B

IMG_0302 B

IMG_0304 B

徳川慶喜終焉の地  春日2-8
 
徳川幕府最後の将軍慶喜は、水戸藩主斉昭の七男として、天保8年(1837)小石川の上屋敷(現小石川後楽園一帯)で生まれた。
その後、御三家の一橋家を相続した。ついで、幕末の動乱のさなか、長州攻めの陣中で没した第十四代将軍家茂のあとを継ぎ、慶応2年(1866)第十五代将軍となった。
翌、慶応3年大政奉還し、鳥羽伏見の戦いの後、天皇に対し恭順の意を表して水戸で謹慎、明治維新後、駿府(静岡)に隠棲した。明治30年(1897)東京の巣鴨、さらに明治34年誕生の地である旧水戸屋敷に近いこの地に移った。
慶喜は、後に公爵、勲一等旭日大勲章を授けられ、大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で没した。享年76歳。寛永寺墓地に葬られた。

 
文京区教育委員会 平成19年3月

文京区コミュニティバス「Bーぐる」を使うと便利です。

http://www.city.bunkyo.lg.jp/sosiki_busyo_kumin_jigyou_b-guru.html


徳川慶喜の余生
明治2年(1869年)9月、戊辰戦争の終結を受けて謹慎を解除され、引き続き、駿府改め静岡に居住した。生存中に将軍職を退いたのは11代・家斉以来であるが、過去に大御所として政治権力を握った元将軍たちとは違い、政治的野心は全く持たず、潤沢な隠居手当を元手に写真・狩猟・投網・囲碁・謡曲など趣味に没頭する生活を送り、「ケイキ様」と呼ばれて静岡の人々から親しまれた。一方で、旧幕臣の訪問を受けても渋沢栄一など一部の例外を除いては、ほとんど会おうとしなかった。共に静岡に移り住んだ旧家臣たちの困窮にも無関心で、「貴人情を知らず」と怨嗟の声も少なくなかった。
明治30年(1897年)11月に東京の巣鴨に移り住む。翌年には有栖川宮威仁親王の仲介により、皇居となった旧江戸城に参内して明治天皇に拝謁もしている。
明治34年(1901年)12月に小石川区小日向第六天町(現在の文京区春日2丁目)の高台の屋敷に転居し、ここが終焉の地となった。現在、敷地の大半は国際仏教学大学院大学になっている。明治35年(1902年)には公爵に叙せられ、徳川宗家とは別に徳川慶喜家を興し、貴族院議員にも就いて、35年振りに政治に携わることになった。
明治43年(1910年)12月8日、七男の慶久に家督を譲って貴族院議員を辞し、隠居。再び趣味に没頭する生活をおくる。
大正2年(1913年)11月22日、感冒(急性肺炎を併発した)にて死去。享年77(満76歳25日)。徳川歴代将軍としては最長命であった。 (Wikipediaより)


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コメント
この写真の慶喜公は、ずいぶん高齢の様子ですね。
76歳でお亡くなりになったのですか、当時としては随分長寿だったのですね。

歴代将軍の中で、一番長寿だったそうですが、潤沢な隠居手当で趣味三昧の生活を送っていたのだから、そりゃ寿命も伸びるでしょう(笑)

>旧家臣たちの困窮にも無関心
なんと無責任・・(◎_◎;)
| めりい | 2018/12/22 6:50 PM |
めりいさん、よく目にするお若い頃の写真とは随分違って見えませんか。それだけ晩年の写真ということなのでしょうね。

潤沢な隠居手当で趣味三昧の生活、旧家臣たちの困窮にも無関心・・・マイペースなお方だったのかしら?(;゚ロ゚)
| しずか | 2018/12/23 10:06 AM |
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