大河ドラマ「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  
<< January 2019 >>
商品紹介
更新履歴
記録之分類
過去之記録
最近之評論
  • 浜松魅力発信館「The GATE HAMAMATSU」(2)「いだてん展」
    しずか (01/21)
  • 浜松魅力発信館「The GATE HAMAMATSU」(2)「いだてん展」
    ラメール (01/21)
  • 浜松魅力発信館「The GATE HAMAMATSU」(1)オープン!
    しずか (01/18)
  • 浜松魅力発信館「The GATE HAMAMATSU」(1)オープン!
    ラメール (01/17)
  • 浜松魅力発信館「The GATE HAMAMATSU」(1)オープン!
    しずか (01/17)
  • 浜松魅力発信館「The GATE HAMAMATSU」(1)オープン!
    ラメール (01/16)
  • 南洲墓地の別府晋介の墓
    しずか (01/16)
  • 浜松市総合水泳場 ToBiO 田畑政治展(2)
    しずか (01/16)
  • 南洲墓地の別府晋介の墓
    ラメール (01/14)
  • 浜松市総合水泳場 ToBiO 田畑政治展(2)
    ラメール (01/14)
記録之輪
友達之輪
作者紹介
余他
無料ブログ作成サービス JUGEM
<< 篤姫と西郷の仲は??? | main | 西南戦争最後の激戦地 城山 >>
西南戦争の舞台となった熊本城

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

 

熊本城は1601年から7年の歳月をかけて、初代肥後藩主・加藤清正によって築城された天下の名城です。

城郭の周囲は5.3km、面積98万屐⊂詁發砲和臈啓蕕半天守、そして数多の建物や城門を備えた堂々たる威容を誇る巨城です。

巧妙に配置された石垣の上には、防衛の拠点をなる櫓が建ち、「狭間」「石落とし」「忍返し」など、他の城に比べて数段抜きんでた規模の防戦体制がとられ、また「武者返し」と呼ばれる特殊技術を駆使した石垣もめぐらされています。

 

明治10年2月15日から17日にかけて、西郷隆盛率いる薩軍13,000が鹿児島から順次北上。
22日、熊本鎮台が籠城する熊本城を囲み、西南戦争が始まりました。

攻防戦は50日余りにわたって繰り広げられましたが、熊本城はこれに耐え、難攻不落な造りを天下に知らしめました。

 

西郷隆盛はこう言ったと伝わります。
「おいどんは官軍に負けたとじゃなか 清正公に負けたとでごわす」

 

 

ところで、西南戦争で熊本城の天守閣・本丸御殿一帯が焼失しましたが、これは戦争が始まる3日前(明治10年2月19日)に出火して焼失したもので、薩軍の放火なのか、あるいは熊本鎮台の自焼なのか、原因は不明とされてきました。


近年では、兵に籠城を覚悟させるため司令長官の谷干城が命じ参謀の児玉源太郎が火を付けたのではないか、または不用建物取り払いのための出火だったなど、自焼説が有力となっています。
 

焼失した大天守と小天守は、昭和35年(1960)に鉄筋コンクリートで外観復元されました。

再建は、古写真や絵地図をもとに瓦の列や枚数など細部まで忠実に行われたそうです。

しかし平成28年4月の熊本地震により、その大・小天守も石垣などと共に被災しました。

上記の写真は、その6年前に撮ったものです。

 

 

 

また本丸御殿も平成20年に「本丸御殿大広間」として復元されました。

これも江戸時代の絵図や文献、明治初期に撮影された写真、発掘調査の出土品を手掛かりにして復元されたものです

 

その本丸御殿大広間のなかでも、一番格式が高い部屋が「昭君之間(しょうくんのま)です。

「昭君」とは「将軍」を意味していると言われ、加藤清正が豊臣秀吉の遺児・秀頼を熊本城へ迎え入れるために用意したという説もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 


お城・史跡 ブログランキングへ

応援のクリックお願いします。m(__)m

 

 

 

 

 

| 熊本 | 00:00 | comments(2) | - |- pookmark↑PAGE TOP
スポンサーサイト
| - | 00:00 | - | - |- pookmark↑PAGE TOP
コメント
めりいさん、熊本の記事をありがとうございます。
とうとう西南戦争まできてしまいましたね。

>近年では、兵に籠城を覚悟させるため司令長官の谷干城が命じ参謀の児玉源太郎が火を付けたのではないか、または不用建物取り払いのための出火だったなど、自焼説が有力となっています。

そうなのですか。
歴史はそうした新説がどんどん生まれてくるので、
今までドラマで描かれてきたのと真実は異なる場合もありますね。

熊本が大地震に見舞われる前に、熊本城に行っておけばよかったと今更ながら思っています。
「昭君之間」は眩いばかりの豪華な部屋なのですね。
| しずか | 2018/12/10 8:05 AM |
しずかさん。
私も熊本城に行ったのは大雨の日だったので、もう一度行こうと思ってましたが、やっぱり九州は遠いです((+_+))

西南戦争と本丸御殿は関係がないと思っていたのですが、資料を調べているうちに、その時に焼失した事が分かり、大急ぎで本丸御殿の写真を追加しました。
豪華・煌びやかで、加藤清正の栄光の日々がしのばれます。
| めりい | 2018/12/10 7:24 PM |
コメントする