大河ドラマ「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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私学校跡〜鹿児島市

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

 

遣韓使節問題決裂で辞表を出した西郷隆盛は、帰郷して一介の農夫として静かに暮らそうとしました。
ところが桐野利秋・篠原国幹などの将官をはじめ、薩摩出身の多数の将士が職を辞し、西郷の後を追って続々と鹿児島へ帰郷しました。
しかし帰郷したものの、この若者たちには目的も職もなく、毎日無為に過ごすしかない状態。
そこで1874年(明治7)6月、彼らを指導・教育するために「私学校」が設立されました。

 

 

鶴丸城の厩跡に篠原国幹が監督する銃隊学校と村田新八が監督する砲隊学校。これを本校として県内各地に分校が設けられ、その費用は県令・大山綱良のはからいで県庁から支給されました。
銃隊学校・砲隊学校の他に、西郷らの賞典禄(戊辰戦争の賜金)を運営費とした賞典学校も設けられました。
オランダ人やイギリス人教師を招いて幅広い教育を施し、5人の生徒をヨーロッパに留学させています。
また庄内藩からは、西郷の人徳を慕って2名が入学しています。
この他、旧教導団の生徒を収容して、原野を開墾して農作物をつくる「吉野開墾社」も設立され、西郷隆盛も開墾に従事しました。

 

 

しかし私学校は軍事教育、精神修養の団体という傾向が強く、やがて年々強大化して反政府の気運を高まらせ、ついに過激派生徒が暴走。
政府火薬庫の襲撃によって西南戦争を引き起こし、私学校はわずか4年でその歴史をとじました。
石垣には政府軍の凄まじい攻撃を物語る散弾の跡が残っています。

 

 

 

 

 

 

 

 


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| 鹿児島 | 13:14 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
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コメント
今年の春、鹿児島を訪れた時は、まだ私学校のことをよく調べていなかったので、銃弾跡ばかりが気になって、肝心な正門跡を見逃してしまいました。
次回また行く機会があれば、再度ここに行き、しっかり見学してきたいです。
この私学校設立が、西郷どんにとって西南戦争に発展する一歩になってしまいましたね。
| しずか | 2018/11/29 8:42 AM |
しずかさん、私も同じです(^^♪
どちらの向きに正門があったのでしょうね?

また機会があれば・・・もう私はムリねぇ〜(^^♪
| めりい | 2018/11/29 4:27 PM |
西郷どんの思いとは別の方向に私学校は進んでいきました。

佐賀の乱などが若者に決起するのは「今でしょう」

の雰囲気を造っていったのでしょう。

西郷どんも若い時、倒幕へと行動を起こしました。

今回、若者をどの方向に導くか迷ったことでしょう。

若者のエネルギーは、いつの時代も激しいです。
| ラメール | 2018/11/30 1:18 PM |
江藤新平が鹿児島に来て、西郷どんに助力を願ったけれど受け入れてもらえなかった・・
もし・・歴史にもしはないけれど・・西郷どんがそれを受け入れ、同時に西南戦争が起こったら、明治政府はどうなったのでしょうね。

私達の今の生活に直接かかわる問題ですね。
| めりい | 2018/12/01 10:04 PM |
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