大河ドラマ「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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幕末 神戸事件

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幕末、尊王攘夷の高まるなか、幕府は開国に踏み切りましたが、入ってきた外国人との間に摩擦が起こりました。

 

1862(文久2)年、生麦村(横浜市鶴見区生麦)付近で薩摩藩島津久光の行列に騎馬のイギリス人が乱入したのを、藩士が殺傷した生麦事件が起こりました。この解決に薩摩とイギリスが対立して薩英戦争えとつながります。

 

 

1868年(慶応4)1月11日、備前(岡山)藩の行列が三宮神社(兵庫県神戸市)近くを通りかかった時、フランス兵が行列を横切った。その行為を無礼だとした、備前藩の鉄砲隊が威嚇射撃をした。その行動に怒ったフランス、イギリスが神戸の街を占領した。これが神戸事件で、外国勢はその責任を新政府に要求し、備前藩は、隊長の滝善三郎に切腹を命じた。
2月9日、永福寺にて、古来の作法にのっとり滝善三郎の切腹は見事に行われた。(享年32歳)
彼の切腹が外国が新政府を認めた最初の外交問題です。
市民は滝善三郎を事件の犠牲者として哀れみ、永福寺に慰霊碑を建てた。のちに能福寺に移されました。

※当時はまだ慶応年間でしたが、後に明治の年号が使われさかのぼって1868年1月1日から明治と定められました。



 
三宮神社
神戸事件は神戸の中心地で起こりました。
JR三宮と元町の中間くらい南にあります。

 
碑が設置されています

 
当時の大砲が置かれています


 
瀧善三郎の墓(能福寺)
責任をとって切腹した瀧の墓。

 
切腹の場面

 
能福寺


 
| 兵庫 | 13:16 | comments(4) | - |- pookmark↑PAGE TOP
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コメント
ラメールさんの記事を読んでまず思ったのが、平清盛所縁の寺として神戸を案内してもらった時のことです。
ここに紹介されている寺社はすべて回りましたね。懐かしいです。

>古来の作法にのっとり滝善三郎の切腹は見事に行われた。

上の図のように多くの人が見守る中行われたのですね。
よく見ていられるな〜(;゚ロ゚)
| しずか | 2018/11/16 12:40 AM |
しずかさん
訪問とコメントありがとうございました。

ここ能福寺は、平清盛の墓があるお寺です。

瀧善三郎が切腹をおこなった絵が残されていますが、
部屋の中で行われた様子が描かれています。
外国公氏が立ち会っていますが、これが明治政府が
外国と交渉した初めての案件ですが、
力ずくで抑え込まれて感じがします。

瀧善三郎が日本を代表して切腹をしました。
| ラメール | 2018/11/16 3:11 AM |
ラメールさん、これは悲惨な事件ですね。

そもそも威嚇射撃をしただけで、犠牲者は出ていないのですね。
なのに切腹・・理不尽ですね。

それに比べて生麦事件は、ひとりイギリス人が亡くなって、しかも戦争に・・

目まぐるしく世の中が変わった時なので、時代背景が違うかも知れませんが、あまりに違いすぎます。

瀧善三郎さん、お気の毒です。

| めりい | 2018/11/16 11:13 AM |
めりいさん
訪問とコメントありがとうございました。

鎖国が解かれたあとの日本では、まだ、攘夷の
気風は多く残っていたでしょう。
日本では、大名行列が通ると道を開けて地面に
頭をつけるほどのお辞儀をするのが習わしですが、
行列を横切るなんてもってのほかでしたから、
威嚇射撃となったのでしょう。

日本政府に外国が抗議した結果の切腹です。
瀧氏が日本を背負って切腹したのでしょう。
外人も彼の潔さにびっくりしたのかそれとも
日本人を野蛮と思ったのかどちられでょうか。
| ラメール | 2018/11/16 11:43 AM |
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