<< April 2017 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >>

掛川古城と龍華院

[ 静岡 ]

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

掛川城より東に500mほどのところにあった掛川古城は、山内一豐が現在の位置に掛川城を築城する以前、戦国時代の明応6年から文亀元年の間に、今川氏が遠江支配の拠点として重臣・朝比奈泰煕に築かせたと言われています。

その後、遠江における今川氏の勢力拡大に伴い、掛川古城では手狭となり、永正9年から10年頃に現在の地に掛川城が築かれました。

龍華院は、掛川古城があったところで、東側には空堀が残っています。







古城跡から見た掛川の街



境内には、徳川家光を祀るお霊屋があります。







龍華院大猷院霊屋

明暦2年(1656年)、嗣子のない掛川城主・北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り、家の存続を願ったといわれる三間四方の方型造りの霊廟です。文政5年(1822年)に掛川城主太田資始により再建され、現在、県の有形文化財に指定されています。

この霊屋は、明暦二年(1656)掛川藩主北条氏重が幕府に願い出て、徳川三代将軍家光(諡号大猷院)の霊牌を祀るために建てたものである。
当時の建物は、文化十五年(1818)三月火災により失われ、文政五年(1822)当時の藩主太田資始により再建された。現在屋根は瓦葺であるが、再建時は柿葺であった。内部には春日厨子があり、霊牌を祀る。昭和二十九年(1954)一月三十日、春日厨子を含め、静岡県文化財に指定された。
霊屋は嗣子のない氏重が断絶の打開策として建立したといわれるが、万治元年(1658)十月、氏重の死去に伴い、家は断絶、領地は没収しなった。
霊屋が建つ地には、戦国時代の明応六年(1497)から文亀元年(1501)ごろ駿河の守護大名今川氏親が遠江支配の拠点として重臣朝比奈泰熙に命じて築かせた掛川古城の本曲輪があった。

お城・史跡 ブログランキングへ

応援のクリックお願いします。m(__)m

 

 

 

2017.04.13 Thursday 01:15 | comments(4) | - | 
<< 蜂前神社 | main | 井伊亀之丞ゆかりの地(1)松源寺 >>

スポンサーサイト

[ - ]
2017.04.18 Tuesday 01:15 | - | - | 
めりい (2017/04/13 8:24 PM)
跡継ぎの子どもがいないと、家は断絶、領地は没収となるのですね。
家族郎党一族が路頭に迷いますね。
厳しい現実です。

私の知人に「朝比奈」さんがおられます。
もしかして掛川古城を築いた朝比奈泰熙の子孫かも?
しずか (2017/04/13 10:58 PM)
めりいさんの知人に朝比奈さん?
きっとそうかも・・・(^^ゞ
最近、苗字を見て、もしかしたら〜の子孫かしら?
と思うことが多くなりました(笑)
ラメール (2017/04/16 1:51 PM)
この辺りは、歴史上のビッグネームが次々に
登場しますね。

しずかさんの先祖は、源でしょうが、

その後の流れは、徳川それとも今川、

どちらでしょうか。
しずか (2017/04/17 11:14 AM)
ラメールさん、コメントありがとうございます!

母方の先祖は、徳川家に仕えていました。
今、私がここにいるのも徳川家のおかげかと思っています。
家系図を遡ると、ますます歴史に興味が湧いています!