大河ドラマ「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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真田の郷 長谷寺 真田幸隆・昌幸の墓,真田信繁(幸村)の供養塔

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

上田市真田町の長谷寺(ちょうこくじ)は、真田幸隆が開山した真田氏の菩提寺で、山号は真田山(さなださん)。

 

 

庭園を過ぎて階段を登ると、真田幸隆夫妻と真田昌幸の墓があります。

 

 

左から、真田幸隆夫人恭雲院、真田幸隆、真田昌幸の墓

真田 幸隆(さなだ ゆきたか/こうりゅう)
信濃の在地領主で、甲斐国の戦国大名である武田氏の家臣。息子三人と共に、武田二十四将にも数えられる。
幼名は次郎三郎、通称は源太左衛門、剃髪して一徳斎と号す。諸系図では幸隆と記されるが、確実な同時代史料においては幸綱と記され、また子に“隆”を通字とする者がまったく居ない事などから、永禄5年頃までは幸綱と名乗り、幸隆は晩年に改めたものであると考えられている(柴辻俊六による)。「幸隆」の名に関して、『高野山蓮華定院過去帳』では「一徳斎」の道号に伴い「一徳斎幸隆」と記されており、道号は原則として音読みされることから、「幸隆」の読みは「こうりゅう」であるとも考えられている。
出身は信濃小県郡の名族海野氏で、海野平合戦でいったん所領を失うが武田晴信に仕えて旧領を回復。以後も武田家の信濃先方衆として活躍し、後の真田氏の礎を築いた。

恭雲院
海野棟綱や真田氏の譜代の家老であった河原隆正の妹で、海野氏分家の家柄だった真田幸綱に嫁ぎ、真田信綱、真田昌輝、真田昌幸、真田信尹、金井高勝を産んだ。幸綱には他に二人の娘(長坂昌国室、遠山右馬助室)がいるがこちらの生母は不明である。長男の信綱が天文6年(1537年)の生まれ(『信綱寺殿御事跡稿』)のため、幸隆と恭雲院の結婚は天文年間初期と推測される。
『系図纂要』によれば、武田家の譜代家老・飯富虎昌の娘が幸綱に嫁いだとする説があり、その後は側室となったと思われるが、永禄8年(1565年)10月15日に飯富虎昌が義信事件で失脚・処刑されて以降は正室に戻ったと思われる[1]。天正2年(1574年)5月19日には幸綱が死去する。また、『羽尾記』によれば、恭雲院の出自を羽尾幸全の娘(『羽尾記』)ともされるが、柴辻俊六はこの説の根拠は弱いとしている。
天正10年(1582年)3月の武田家滅亡後、上野国と信濃小県郡・佐久郡を支配していた織田家家臣・滝川一益の元に人質として出されたが、後に武田氏から離反して織田氏に従属し、信濃安曇郡・筑摩郡・木曽郡を与えられた木曽義昌へ引き渡された。同年9月に真田家が徳川家に従属したことに伴い、翌11年2月に徳川家康の人質となった。その後天正13年(1585年)ごろに解放され、真田家へもどったとされる。 

真田 昌幸
甲斐の武田信玄の家臣となり信濃先方衆となった地方領主真田氏の出自で、真田幸隆(幸綱)の三男。信玄・勝頼の2代に仕え、武田氏滅亡後に自立。織田信長の軍門に降り、滝川一益の与力となったが、本能寺の変後に再び自立し、近隣の北条氏や徳川氏、上杉氏との折衝を経て、豊臣政権下において所領を安堵された。上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退したことで、徳川家康を大いに恐れさせた逸話で知られるが、関ヶ原の戦いで西軍についたために改易された。
軍記物や講談、小説などに登場したことで、後世には戦国時代きっての知将・謀将としての人物像として現在でもよく知られている。  (Wikipediaより)

 

 

真田幸隆夫妻・昌幸の墓の左側に、真田信繁(幸村)の供養塔があります。

 


これはまだ新しいようですね。

 


 


 



小銭が、六文銭の様に奉納されています。

これは真田ファンのGood ideaですね(^∇^)ノ

 


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| 長野 | 15:30 | comments(5) | - |- pookmark↑PAGE TOP
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コメント
逃げ恥でも、真田丸のパロディが・・

一番はまってたドラマが終わって逃げ恥ロスです!
| シネマ大好き娘 | 2016/12/22 3:06 AM |
真田家の墓が大切に保存されていrのですね。

関ヶ原後、故郷に帰っていない信繁の供養塔を造られ、
真田家が慕われているのがわかります。

「日本一の強者!!!真田幸村!!!}
| ラメール | 2016/12/22 4:36 AM |
シネマ姉さん、「逃げ恥」ってそんなに面白かったの?

見ていなかったから、ブームに乗れず・・・(^_^;)
| しずか | 2016/12/22 10:28 AM |
ラメールさん、今年真田家の墓をいくつ見たのかわからないほどたくさん見てきました。

それだけ各地で真田が慕われているというのがよくわかりましたよ。
| しずか | 2016/12/22 10:29 AM |
上田の長谷寺に行ったのに、信繁の供養塔を見落としたと悔やんでいたのですが、これは3年ほど前にできたものだそうですね。
私が行った時にはなかった・・それで納得できました(笑)
| めりい | 2016/12/23 9:39 PM |
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