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蜂須賀小六と秀吉 出会いの像

[ 愛知 ]
 
尾張の愛知郡中村(現在の名古屋市中村区)の農家に生まれた秀吉。
いろいろな仕事を転々とした後、今川義元の家来・松下嘉兵衛の下で奉公したのですが、上手くいかなくなり、その家から出ることとなりました。

尾張に向かう途中、秀吉は岡崎の矢作川(やはぎがわ)の橋で野武士の頭領・蜂須賀正勝(通称:小六)と出会いました。
失意の秀吉は今後、誰のもとに仕えればよいのか小六に尋ねると、小六は「織田信長」と答えました。
その後、秀吉は信長に仕え、小六は秀吉の下で働きました。

しかし、当時の矢作川は架橋されておらず、二人が橋の上で出会ったのは、後世の伝説だという説もあります。
一説では、秀吉が織田氏に仕える以前、秀吉の父・木下弥右衛門が小六の父・蜂須賀正利の配下であった縁で正勝に仕えたといいます。

岡崎の矢作橋には二人の出会いの像が建っています。



蜂須賀小六

小六は大永6年(1526年)、蜂須賀正利の長男として蜂須賀城に生まれました。
濃尾国境付近の土豪として木曽川筋の川並衆を掌握。斎藤道三、織田信賢、織田信清、織田信長に仕え、桶狭間の戦いにも参加。
やがて秀吉の家臣となり、墨俣城の築城に川並衆と協力し、越前天筒山城・金ヶ崎城攻め、近江横山城の攻略、および、長島一向一揆攻めで、秀吉に従軍して功績をあげ、秀吉が近江長浜城主となると、長浜領内に所領を与えられました。
上月城攻め、三木城攻め、因幡鳥取城攻めにも従軍して活躍し、その功により龍野城主となります。

備中高松城の水攻めの案や指揮は、官兵衛よりもむしろ小六が主導したともいわれています。
by しずか


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2014.02.21 Friday 15:17 | comments(6) | - | 
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2017.04.18 Tuesday 15:17 | - | - | 
merry (2014/02/21 5:01 PM)
蜂須賀小六と言えば「野武士」というイメージがありますが、これは「太閤記」の創作なのだそうですね。

本当は清和源氏の末裔であるとか・・これもよくこの時代に行われた由緒正しいルーツ作り??かもしれませんが・・

>備中高松城の水攻めの案や指揮は、官兵衛よりもむしろ小六が主導

いったい誰の提案だったのでしょうね(笑)
しずか (2014/02/21 11:55 PM)
merryさん、コメントありがとうございます!

>本当は清和源氏の末裔であるとか

よくある話ですね(^_^;)

由緒や逸話はどの程度信じていいのやら(汗)

シネマ大好き娘 (2014/02/22 5:00 AM)
逸話は、楽しいですね〜

妄想も楽しい〜

しずかさんは、失恋ショコラティエ観てますか?

めちゃ、面白いですよ!
しずか (2014/02/22 1:31 PM)
シネマ姉さん、逸話大好きですよ〜

信じがたいのも多々あるけど、想像しただけでも面白いし!

ショコラティエ見てないの(;O;)

再放送あったら観てみるね!
ラメール (2014/02/23 2:36 AM)
小六の身分はけっこう高かったのですね。
野武士出かと思っていました。

官兵衛なのか小六なのか、今となっては事実は、
わからない。
それでも橋で出会った像があるのが面白いです。
しかし、この像では、小六の方が相当偉そうです。
しずか (2014/02/23 10:58 AM)
ラメールさんの像に対する見方、とても面白いです!

そこまで思って見ていませんでした(^_^;)

たしかに言われてみるとその通り!

像をつくるのも難しいものですね。