高瀬川沿い史蹟4
12:近江屋(龍馬、慎太郎遭難の地)
13:中岡慎太郎寓居(菊屋)
12:近江屋(龍馬、慎太郎遭難の地)
1867(慶応3)年11月9日(新暦)に、二条城にて将軍徳川慶喜は、政権を天皇に返上することを決め、大政奉還がなされました。
12月10日(新暦)、近江屋に居た坂本龍馬を中岡慎太郎が訪ねました。
そこへ、十津川郷士を名乗った男が龍馬を訪ねてきました。
対応した藤吉は後ろから切りつけられ
藤吉「ぎゃぁ!!!」
龍馬「ほたえなぁ!」 (土佐弁:騒ぐな)
刺客は階段を駆け上がり
「こなくそ!!」 (四国の方言でこの野郎)
と叫びながら龍馬に切りかかり額に一太刀・・・
慎太郎も切られるも援けを求めました。
龍馬は、その場で絶命。享年:33歳
慎太郎は、2日後に死亡。享年:30歳
近江屋(醤油屋)
中京区河原町通り四条上る
四条河原町交差点
左に曲がると近江屋 正面右:南座
「誰が犯人???」
龍馬、慎太郎暗殺者は誰かとなると色々な説があって、当時、京都の町をわがもの顔で闊歩して志士を恐怖におとしいれていた新選組も疑われていますが、通説になっているのが「見回り組(幕府の京都治安部隊) 佐々木只三郎」です。
しかし、これも確証はありません。他には、薩摩藩説(西郷隆盛)、紀州藩説(いろは丸事件)、会津藩説(松平容保)などがあります。
土佐藩説は捨てがたいです。
●「こなくそ!!」は四国の方言
●後藤象二郎などの土佐藩上士たちは、郷士の龍馬、慎太郎などの活躍をよく思っていなかった、
●土佐藩は龍馬の情報を知る立場にあった
●土佐藩邸は、近江屋の近くにあるが、助けにいってない
案外、近くの仲間と思っていた者の犯行である可能性は高いです。
13:中岡慎太郎寓居
中岡慎太郎は、禁門の変に参加、そして、坂本龍馬と薩長同盟の成立に奔走し、武力による倒幕を考えていました。
1864(元治元)年12月10日(新暦)、坂本龍馬が居た近江屋を訪問中に何者かに襲撃され、龍馬は即死、慎太郎は2日間生き延び、暗殺犯について語っています。享年:30歳
中岡慎太郎が住んでいた土佐藩御用達書林菊屋(書店)は、近江屋と通りを隔てた向かいにありました。
中岡慎太郎寓居;菊屋跡
中京区河原町四条上る米屋町382
中岡慎太郎 碑と像
現在は抹茶館(喫茶店)になっています