大河ドラマ「麒麟がくる」「いだてん」「西郷どん」「おんな城主直虎」「真田丸」「花燃ゆ」「軍師官兵衛」の舞台を訪ねて 

大河ドラマゆかりの地の史跡、番組の感想、関連番組を紹介しています。
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人形町の西郷隆盛屋敷跡

JUGEMテーマ:大河ドラマ

 

現在、人形町の魚久本店〜日本橋小学校のあるこのあたりは、江戸時代末期、姫路の殿様、酒井氏の屋敷がありました。

IMG_1308 西郷隆盛屋敷跡

そして、明治の初期、西郷隆盛が明治政府の参議となった頃、人形町から小網町、蛎殻町辺りに、西郷がおよそ二年間、書生15人、下男7人と住んでいました。

魚久本店と日本橋小学校の前に説明板があります。

魚久本店
IMG_1304 西郷隆盛屋敷跡

IMG_1302 2018_05_02

日本橋小学校
IMG_1300 西郷隆盛屋敷跡

IMG_1301 西郷隆盛屋敷跡

IMG_1299 西郷隆盛屋敷跡

西郷隆盛屋敷跡
 明治初め、この地域には明治維新の元勲西郷隆盛(1827〜1877)の屋敷がありました。
 明治6年(1873)の「第壱大区沽券図」には、「蛎殻町1丁目壱番/二千六百三十三坪/金千五百八十六円/西郷隆盛」とあります。屋敷には長屋に15人ほどの書生を住まわせ、下男を7人雇い、猟犬を数頭飼っていたといわれています。
 維新後、西郷隆盛は郷里鹿児島にいましたが、明治4年(1871)に新政府から請われて上京し、参議に就任、同明治4年(1871)年10月に岩倉具視を特命全権大使とし、大久保利通、木戸孝允等を副使とする使節団が米欧へ派遣された後には、筆頭参議として留守政府首班となり、学制・徴兵制度・地租改正などの重要政策を実現しました。
 明治6年(1873)になって、朝鮮との国交問題が緊迫し、武力出兵を主張するいわゆる征韓論が高まりを見せるなか、西郷は自らが朝鮮に渡って交渉することにより、問題の解決にあたろうとしました。閣議でもいったんは西郷の施設派遣が決定されましたが、海外の視察から帰国した大久保等の猛烈な反対により使節派遣は中止となります。この決定を受けて、西郷をはじめ、板垣退助や後藤象二郎等が参議を辞して下野しました(明治6年の改変)。
 下野後、西郷はこの地にあった屋敷を引払い、鹿児島に帰郷します。鹿児島では、士族子弟の教育のために私学校をつくり、また農耕と狩猟に悠々自適の生活を送っていましたが、明治10年(1877)に西南戦争を起こし自害しました。
 平成19年3月 中央区教育委員会

IMG_1305 蛎殻町

IMG_1313 人形町

IMG_1312 口入宿
 


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