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かごしまシティービューで今和泉島津家本邸跡(篤姫誕生地)前で下車し、篤姫誕生地を散策しました。 篤姫の生家である今和泉家の本邸跡です。 屋敷自体は既になく、当時を偲ばせる石垣が通りに面して残っています。 塀に沿って歩いて行くと、すぐに見えてきたのが大龍寺跡。 この辺りは、もとは島津15代島津貴久にって築城された内城の跡で、15代貴久、16代義久、18代家久がこの地を居城としていました。慶長7年(1602)家久は鶴丸城を築き移転。廃城となったその跡地に大龍寺が創建されました。 それは、貴久の号の「大中」と義久の号「龍伯」の一文字ずつをとって名づけられたのでした。(鹿児島観光サイトより) 蓑懸松 儒僧文之和尚開山 大龍寺の遺址 大龍寺を開山した南浦文之和尚(ぶんしおしょう)は、文之和尚は、安土桃山・江戸初期の禅僧で、島津藩の外交に貢献しました。弘治元年(1555年)日向国南郷外浦に生まれ、島津義久・義弘・家久に仕えて島津家の政治・外交に活躍しました。 鹿児島の大竜寺の開基や鎌倉の建長寺の住職も勤めましたが、朱子学に秀で漢籍の訓点を施し、後世まで「文之点」として日本儒学の発展に貢献しました。また、鉄砲伝来の様子を資料や伝承によりまとめた「鉄炮記」も著しています。 (姶良市観光協会サイトより) 東郷平八郎揮ごうによる文之和尚の記念碑