先日、静岡の竜雲寺に行って来ました。
竜雲寺は、大河ドラマで浅丘ルリ子さん演じる寿桂尼の菩提寺です。
今川氏真が当主になっていた頃、終の棲家といたのが龍雲寺です。
JR静岡駅からバス北街道線・瀬名新田行き他15分、沓谷3丁目下車、歩くこと数分です。
竜雲寺本堂の前には、没後四百年記念に建立された寿桂尼が使用した「歸」(とつぐ)の印判を刻んだ石碑が建っています。
「歸」は、寿桂尼が氏親に嫁いできた時、父親の中御門宣胤が印判に彫って授けたものといわれています。
印判は、その後、領国支配の発給文書に使われており、寿桂尼の権力を象徴したそうです。
寿桂尼は、今川氏親の正室。藤原北家、勧修寺流の中御門家(公家)の出自。父は権大納言中御門宣胤。兄に中御門宣秀、姉は山科言綱の正室。子に今川氏輝、今川義元、瑞渓院(北条氏康室)など。夫・氏親の死後剃髪して瑞光院寿桂尼となり、大方殿と称された。氏親、氏輝、義元、氏真の四代に渡って今川氏の政務を補佐し「尼御台」と呼ばれた。
家督を継いだ実子・義元が永禄3年(1560年)に桶狭間の戦いで織田信長に破れて戦死し、孫の今川氏真が当主となった後も政治に関わっている。
今川氏没落の最中の永禄11年(1568年)、義元が亡くなった8年後に死去。婚姻の年齢から推測すると70 - 80歳代だったと思われる。「死しても今川の守護たらん」という彼女の希望により、今川館の東北、鬼門の方角にあたる竜雲寺に埋葬された。
寿桂尼の死後、今川氏と武田氏の外交関係は手切となり、同年12月には武田氏による今川領国への侵攻が開始された(駿河侵攻)。氏真は駿河を捨て遠江に落ち延びるも翌年に徳川家康に降伏し、戦国大名としての今川氏は滅びた。(Wikipediaより)
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