やっと録画していた大河ドラマ4月8日「変わらない友」を見ました。今回は、篤姫の輿入れと大久保正助(瑛太さん)の結婚、そして、太陽の吉之助と月の正助が二人そろって、江戸へ旅立つシーンで終わりました。
「4月8日号週刊西郷ごん」(NHK西郷どんの中の一つのコーナー)は、360度ギャラリー「江戸薩摩藩邸」です、ぐるっと藩邸内が見れます。
過去には、3月11日号「品川宿 磯田屋」、2月4日号「御前相撲 磯御殿の土俵」、1月21日号「西郷家と大久保家」の4つの360度ギャラリーがあります。
●3月4月日号週刊西郷どんの「井伊さんぽ」で佐野史郎さんが直弼の彦根史跡を訪ね歩いた記事が載っていましたので、歩いてきました。NO2「天寧寺」です。
1860(安政7)年3月3日、桜田門外の変で、直弼が駕籠の中で敷いていた座布団や流した血が染みこんだ土は暗殺を隠すために彦根に運ばれ、直弼最期の衣装類と共にここ天寧寺の境内に埋められました。そして直弼の供養塔が建てられています。
かごの中に敷いていた座布団はこのお寺に保存されています。(座布団は未公開ですが、「井伊さんぽ」では、取材されています)
また、井伊直弼と関係のある長野主膳と村山たか女の墓もあります。
五百羅漢も有名です。
天寧寺地図
天寧寺
腰元の不義の相手が自分の息子であったため、自分の過ちであることが分かります。
井伊直弼供養塔
桜田門外の変で、直弼が流した血が染みこんだ土は、暗殺されたことを隠すため、直弼最期の衣装類と共にこのお寺の境内に埋められました。
長野主膳の墓(義言よしとき)
直弼の師で国学、和歌を教えた。直弼の死後、直弼を陰で操ったと見られ、斬首の刑に処せられる。(享年48歳)
村山たかの墓
直弼とお忍びでこのお寺で会っていたようです。また、長野主膳とも関係をもっていて、安政の大獄の情報を江戸に送った女スパイでした。捕らえられて晒しものの刑に処せられました。尼となって余生をおくりました。
五百羅漢像
京都の仏師駒井朝が刻んだ木造五百羅漢は、お釈迦様を囲むように三方に安置されています。探している人の顔がかならずあると言われています。