前橋二十五人衆は、明治時代初期、群馬県令
楫取素彦と協力して前橋市に県庁を誘致、師範学校の建設、衛生局の設立などに私財を投じるなど県政に尽力した下記の「前橋の有力者25名を指します。
下村善太郎(生糸商・初代前橋市長)・勝山源三郎・勝山宗三郎(質商・唐物商)・須田傳吉(紙・油・ろうそく商)・大島喜六(魚問屋)・市村良平(生糸業)・江原芳平(生糸業)・竹内勝蔵(生糸業・第8代前橋市長)・横川重七(河内屋呉服太物商)・松井林吉(糸繭商)・鈴木久太郎(荒物雑貨商)・荒井友七(金物商小松屋本店)・荒井久七(小松屋陶器店)・深町代五郎(味噌醤油醸造業)・八木原三代吉(大地主)・筒井勝次郎(油商)・中島政五郎(肥料商・糸繭商)・田部井惣助(生糸商)・武田友七郎(繭糸商)・横川吉次郎(呉服商・生糸商)・生方八郎・桑原壽平(薬種商)・太田利喜蔵(酒造業・生糸業)・久野幸人・串田宗三郎
熊谷県は、養蚕・製糸業が盛んで、狭山茶の産地でもありました。その熊谷県が、1876年(明治9年)に群馬県と埼玉県に分割され、楫取素彦は第2次群馬県の初代県令となりました。当初県庁は高崎に置かれることになったため、楫取は高崎町民に協力を得られませんでした。
そこで、
下村善太郎を中心とした前橋の有力者25名は、師範学校の建設や衛生局の設立などに私財を投じ、楫取の県政を支える決意を示したため、楫取はその熱意に感動し、県庁を前橋に移す決心を固め、1881年(明治14年)に県庁が前橋に置かれることになりました。
中心人物の下村善太郎は、後に初代前橋市長となり、現在、前橋市役所前に、初代前橋市長の下村善太郎の銅像があります。
下村善太郎の銅像
初代前橋市長 下村善太郎翁
下村善太郎翁は、文政10年(1827)に、前橋本町の商家に生れました。
刻苦の末に生糸貿易で成功し、その余力を郷土前橋のために傾注、多大な貢献をされ、後に前橋市名誉市民に列せられています。
明治9年、下村翁は群馬県庁が高崎に置かれた時、同士と図り率先巨費を拠出され、前橋への県庁誘致を実現しました。
それは私たちのまち前橋の大きな礎でした。
下村翁の偉業はそれにとどまらず、前橋の度重なる天災、大火などの被災者の救援をはじめ、教育・産業・交通・防災・その他あらゆる都市基盤づくりに奔走、私財を投げ出し、よく公益に尽くされました。
それら郷土愛の発露のすべてが有形無形の遺産となって、現在に引き継がれています。
明治25年の市制施行に際して、前橋市民は初代市長の栄誉を下村翁に贈りましたが、市長在任1年余りで惜しくも翌26年(1893)66歳の生涯を閉じられました。
その後、市の発展に伴い、市民の下村翁への追慕はますます厚く、市史に一大転機をもたらした一府十四県連合共進会開催された明治43年、前橋公園の一角に立派な銅像が建立されました。
しかし、戦争が激化した昭和18年、資源供給のため供出しなければなりませんでした。
下村翁の偉大な精神と業績をたたえる市民の心を永く後世に伝え継ぐことは、今このまちに住み、さらに心豊かな明日を目指す私たちの大事な使命と考えます。
今年、下村翁没後90年。
そして、本市を主会場に「あかぎ国体」が開催される意義深い年にあたり、市民こぞってこの銅像を再建いたしました。
(碑文より)
(臨江閣に展示されているパネル)
by shizuka
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