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蜂須賀小六正勝公のお墓〜徳島市(2)

[ 徳島 ]



徳島市のシンボルである眉山の頂上に、蜂須賀小六正勝公のお墓があります。





天正14年5月22日、蜂須賀正勝公は大阪城外の邸宅で死去しました。

享年61歳でした。














当初、大阪天王寺にお墓がありましたが、昭和の時代になって市街化計画のため移転せざるを得なくなり、蜂須賀家のお墓があるこの万年山に移されました。





蜂須賀家歴代のお墓がある万年山の中で、正勝公のお墓は一番高い位置にあります。

遠く大阪城を望む位置に建てられたそうです。







秀吉の天下統一を目前にして亡くなった正勝公は、やっぱり最後まで秀吉の事が気がかりだったのでしょうね。












 
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2014.08.30 Saturday 00:00 | comments(8) | - | 

蜂須賀氏ゆかりの徳島城〜徳島市(1)

[ 徳島 ]



蜂須賀正勝(小六)は野盗の親分であったなどの俗説がありますが、そうではなく、れっきとした尾張の土豪出身です。

永禄年間に信長に仕え、秀吉の与力として従軍し功をあげました。

天正5年から始まった中国攻めにでは、官兵衛とともに策略をたてたり、調略に走るなど軍師として活躍しました。

また毛利氏と結んだ和議による領地分割の折衝でも、官兵衛とともに2年間にわたって交渉を続け、国境を確定させました。






秀吉の四国平定後、蜂須賀正勝(小六)は、阿波一国を与えられましたが、老齢であることと、大阪城の秀吉のもとで仕えたいとの理由で、阿波国を子の家政に譲りました。

家政は阿波国17万6千石の領主となり、天正13年(1583)徳島城を築きました。

以後徳島城は、江戸時代を通して徳島藩蜂須賀氏25万石の居城となり、明治維新を迎えました。



蜂須賀家政公(藩祖)の像





徳島城表口「鷲の門」
昭和20年(1945)まで当時の門が残ってたそうですが、残念ながら戦災で焼失し、平成元年(1989)に復元されました。




 


徳島城の本丸跡は標高61mの城山の頂上にあります。





西三の丸跡、西二の丸跡を通り過ぎると・・





山頂の本丸跡に到着。






ところで、黒田官兵衛の長男・長政の正室は、蜂須賀正勝(小六)の娘・糸姫でした。

長政との間に菊姫をもうけましたが、関ヶ原の戦いの直前に離縁させられ、この阿波国に戻って暮らしました。

そして長政は、家康の養女・栄姫を新たに正室に迎えています。





城山の南麓には、藩主が住んだ御殿があったそうです。

当時の建物はありませんが、今も庭園は整備され残っています。


もしかして、糸姫もその御殿で暮らしたのかも知れませんね。


旧徳島城表御殿庭園  
面積は9917(約3000坪)





池泉庭園





枯山水庭園






枯山水庭園の中島にある巨大な自然石の石橋






徳島城のものではないかとされる鯱瓦





糸姫は74歳という長寿を全うし、徳島市の眉山麓にある臨江寺に埋葬されたそうです。

私は眉山にも行ったのですが、その時は臨江寺の事は知らずにパスしてしまいました。

残念です(-_-;)









 
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2014.08.28 Thursday 22:01 | comments(8) | - | 
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